職場近くの喫茶店で、耳に入ってきた会話をそのまま聞いてしまった。当然ながら詳細はわからないけれど、30台くらいの男女の会話であり、年収1千万円を超える共通の知人にお金の無心をしたい、というような内容だった。真剣にお金を借りる話ではなく、ちょっとした愚痴程度の話だ。
僕の注意をひいたのは、彼らが10万円程度のお金を「あいつにしてみればほんの1%」と繰り返していたからだ。1%くらいのお金なんだからおごってくれてもいいだろう? というニュアンスである。確かに1%という数字は正しい。それに「1%ならいいだろう」という気分もわからなくもない。しかし考えてもみると、年収500万円の人だったら5万円をおごってくれてもいいだろう、という話にはなかなかならない。
数学者のジョン・アレン・パウロスは、フォーブス400に載っている人たちに向けて、研究中のプロジェクトに対する25,000ドルの資金供与を求めたという。対象者の平均資産は4億ドルで、資金を求めたのは資産の0.00625%にもかかわらず、親切な手紙はたくさん受け取ったもののお金は全く手に入らなかったそうだ。彼は「もしも全く見知らぬ人が価値あるプロジェクトに25ドル(これは彼の全財産の0.00625%だそうだ)の寄付を求めてきたら、自分はきっと提供するだろう」という目論見を富裕者に対しても同じように見込んだらしい。手紙が帰ってきたのだから結構なことだが、この人をくったような話は示唆に富む。
ベルクマンの法則として知られているように、恒温動物であれば、大型の種ほど寒冷地に生息する。これは体温が奪われるのは体表面からであり、体表面は体長の2乗に比例し、熱量は体重(体長の3乗)に比例するためであるとされる。これと似た話で寒冷地に生息するものほど突出部が短くなる。これらは環境に依存して体型が変わる例であるが、同じような例として、自分の体重を支える必要から象の足の断面積は広く、キリンの足の断面積は狭い。ウルトラマンの足の太さではおそらく立つことすらできないし、かりに立つことのできる特別な骨格を持っているとしても地面が足の底に耐えられない。つまり何がいいたいかというと、単純なミニチュアや単純な拡大では用をなさない、ということだ。
はじめの話に戻って、年収およそ1万円の少年時代に大した理由なく100円をおごった僕は、年収およそ100万円だった学部生時代に1万円を大した理由なく使うことはなかった。現在でも年収の1%を大した理由なく人に譲ることはない(お小遣い制なので、使える金額はそれほど変わっていないという事実はともかく)。同じ理屈をどのような年収の人にも当てはめることができるような気がする。つまり自分の身にしてみれば収入に対する比率ではなく絶対額の問題であり、他人の話をするときには比率で考えてもよいと思っている浅ましい自分がいる、ということだ。
2007-10-10
たった1%
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