すでにその時期は去ったが「中秋の名月」と呼ばれる頃(大体それくらいの時期)に何度も月を見上げ、なるほど名月だと感心した。どの時期の月であろうと大きさは同じだと頭ではわかってはいるものの、どういうわけだか大きく見える。
よく知られたことだが、地平線や水平線に近い太陽や月が大きく見えのは錯覚である。人曰く、近い距離に比較対象があるため、実際の距離よりも近く、そして大きく見えるという。科学に詳しい人だと屈曲率の話をするかもしれないが、心理的な大きさは屈曲率から導き出せる大きさよりもはるかに大きい(というより、識別できないほどにしか大きくならないはずである)。従って、心理的な錯覚というわけだ。
時に、月の美しさを感じる僕の感覚は、曇りのないまっさらな月よりも、朧に煙った月や雲隠れの月の方をより美しいとしている。これも僕に刷り込まれた文化的なものだと何となく思っている。
これも有名な話だが、「月の砂漠」の歌詞に朧な月が出てくるが、アラビア半島の砂漠では、ほとんどの場合月はしんと冴えわたり、年に数回しか煙ることがないという。その年に数回の煙るときは、ゆったりと王子様とお姫様がラクダに乗って道を行くことなど不可能だ、とのこと。
往々にして、現実は想像よりも美しくないものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿