先日古い友人と会ったが、その人が妙に「自分探し」みたいな病気に罹っていたことが気になった。「自分のやりたい仕事」とか、「自分らしいプライベート」とかいう話を散々したのだ。
僕は、そもそも仕事とプライベートを分けることがナンセンスだと思うし、いわゆる「自分探し」のように自分らしいものを自分で探すこともナンセンスだと思う。その理由を説明するのが面倒だが誤解を承知で簡単に言うと、仕事とプライベートを分ける明確な境界線がないことと、あらゆるペルソナをひっくるめてすべて自分だ、ということだ。自分を構成する物質や情報は絶えず変化し、他者や周囲の環境と混ざり、コピーされる。その中で統一的な自己など持ちようもなく、既にそこにいる自分以外の自分などはどこにもいないと思う。仕事と思っているものも仕事ではないと思っているものも、それを行うのは自分であると思っているものなのだから、どこにでも自分の持つあらゆるペルソナがひょっこりと顔を出すはずだし、やりたかろうががやりたくなかろうが、何らかのアクションを起こすという事実には仕事もプライベートも区別がない。
話は少し変わって、就職活動など自己PRをしなければならない場面では「将来のビジョン」とか「どんなビジネスパーソンになりたいか」とか聞かれるものだが、そういった質問に(本心か否かは知らないけど)すらすらと答えられる人がいることが信じがたい。もちろんごく一部の限られた人はなりたい将来の自分が明確になっていて、それに向けての地道な活動を続けているのだろうが、一介の凡人であれば「明確な目標を持てればそれに越したことはない」程度のものではないだろうか。面白ければやる、面白くないことをできるだけ避ける、それを繰り返していくうちに少しずつなりたい自分(あるいはなってしまうと予測される自分)が見えてくるのではないか。生活を連綿と続けているうちに、なるようになるし、ならないようにはならないのだ。
自分と他人には明確な境界線がない。同じように自分の行っていることはすべて、緩やかに連続しているが厳密には分断されている。それだけのことだ。
2007-10-24
自分が!
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