かつて僕が在籍していた会社の悪口を言うわけではないが、成果主義とからめた「目標管理」というものがあった。個人の勤務評定を、いろいろなパフォーマンスと個人が設定した目標の達成度で測るのだ。もちろん目標としては「今年は酢豚を食べられるようになります」とかいうものは認められず、会社の活動に即したものを設定しなければならない。
成果主義はもちろん業績に直結した活動を評価しようという動きで、それはそれで賛成できる。例えば単独で活動する営業担当者などなら、それなりに正確な成果主義が導入できると思う。それに比べると、僕の職種である(なんちゃって)エンジニアというものはどうも正確に成果が測れないのではないかと思う。ある人は去年よりも2倍優れた(きれいな)コードを書けるようになったとしても、その度合いを誰が評価するというのだろう。去年より2倍速くコードが書けるようになったとしても、メンテナンス性の劣ったコードを速く書くよりはきちんとしたコードをゆっくり書いたほうが良い。さらに設計など、どうやって評価しようか。
そもそも成果主義は目に見える成果を測れるところに導入するのは簡単だけれど、成果があるのかないのかよくわからないところでは導入しにくい。例えばチームで活動していると、チームの成果はわかるけれども個人の成果がわからないし、研究開発やバックオフィスでは良くわからない。それに末端で動いている人たちは自分の成果なのか上司の成果なのか判別しにくいところもある。
そうした評価しにくい部分を測るためと、さらには成果主義を導入するにはモティベーションを維持することが難しくなる職階の人もいるので、目標管理を導入する。要するに会社の戦略や目標に沿った個人の行動を「目標」として、その達成具合を成果主義的に測るわけだ。しかし僕が聞く範囲では、目標管理は機能していない。達成しやすい目標を立てたり、年度末にようやく目標を立てたり、すでに達成したことを目標として立てたり、かなり好き勝手に行われている様子だ。
そもそも個人が勝手に目標を立てるところが間違いなのだ。目標は組織が立てる。組織の目標と個人の目標は違うなどというのだったら、成果主義自体を疑うべきだ。もしも組織の目標が個人にとって大きすぎるのなら、そこは個人単位にまでブレイクダウンした目標を組織が立てるべきである。個人に「目標を立てろ」というのは、管理不在とでもいえる無責任な行いなのではないか。
というわけで、安易な目標管理は嫌いだ。今は「なるようになるし、できることをできるだけする」というスタンスで幸せに働いている。
2008-03-08
「目標管理」は無責任だ
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