祖母が亡くなってから50日経ったので、「五十日祭」というものをとりおこなった。それ系の習慣になじみのない人のためにその一連の流れを蛇足ながら説明するが、神主さんに祭詞(祝詞みたいなものだ)をあげてもらい、○○家累代之奥都城(おくつき)に骨を納め、飲み食いをした。
四十九日と違って坊さまは来ないし、経文もあげられない。お経好きの僕からしたら祝詞はお経よりも音楽的面白みがたりないが、意味がわかりやすいので、その部分は祝詞の方が面白いような気がする。
そもそも神道には葬式はないという話を読んだことがある。死は穢れであり、神職につくものといえ穢れを扱うことはしなかったのだとかなんだとか。しかし祖霊信仰の習慣と仏教が交わったときから(そもそも仏教には死者を弔う術もないはずだが)葬式は仏教の役割となり、神道の葬式は神仏習合の考え方から生じた神社の中にある寺院、つまり神宮寺でとりおこなうことになったという。本当の話かどうかは確認していない。
まあとにかく、明治維新とか廃仏棄釈とかいろいろな政治的絡みもあり、僕の祖母の家では神道式である。そのお祭りで神主さんと話をして、いろいろとこれまでに知らなかったことも聞けた。
例えば仏教でいうところの戒名。仏教では人は死んだら仏になるとかならないとか(そもそも輪廻転生だろうから、仏様になるようなことはないのではないか。即身成仏、命あるものみな仏だと個人的には思う)。神道には戒名がない代わり尊称があり、人は死んだら神になる。八百万のこちらは仏教式の「仏になる」というよりはいろいろと習慣とかみ合うように合理的に思える。
その尊称は年端もいかずに亡くなった方であればasm命(asmのみこと)のようになり、きちんと年齢を重ねて亡くなったかたはasm大人命(うしのみこと)と呼ぶ。女性であれば○○刀自命(とじのみこと)という感じだ。さらに90とか100とか年齢を重ねると、尊称の頭に「大」がつくとか「翁」がつくとかいろいろ聞いたけど、正確にはよく覚えていない。そもそも正確なきまりはないのだろうと思う。
また、神道式で葬式をする家がどこそこの地方に多い理由はこれこれだ、というような話を聞いたが、その中で面白かったことがふたつ。ひとつは檀家制を施行したときに某地方の寺の住職が嫌な奴だったから、近隣のものはみな神道式にしたということ。もうひとつは神道式の葬式の方が費用がかからないから神道式にした例があったということ。人それぞれだし、地域色のディープな話題だった。
ついでながら、親族の最長老の車(彼は自分で運転する)に魅せられた。HONDAの初代LIFE(どんなに新しくても1974年以前の製造)であるが、ここまで長生きすればまさに「LIFE」という感じだ。あえてピンぼけで撮った写真がその車だが、まだ車検を通っているところがすごい。ナンバーは『カリオストロの城』で有名な埼玉ナンバーだった。現役で走るアンティックカーを長老が運転している様は、実に堂々たるものだった。
2007-09-01
宗教行事にいった
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