またタイトルに惹かれて読んでしまった。「集合知の虚像ドコモ2.0。みんなの意見はそんなに正しくない」というコラムだ。
コラムの最後にあげられているポイントを引用すると、
「クラスのみんな」で挙げられるのは都合の良い友人。とのことだ。
みんなの意見は条件次第でどうにでもなる。
この引用だけ読んでもわけがわからないと思うので、多少補足する。このコラムでは、ドコモのCMは好感度が高いのに、契約者数は純減となっていることをあげ、CMの好感度を決める「みんなの意見」と契約者数を決める「みんなの意見」は違う、という当たり前なことを、おもしろおかしく書いている。ぜひ読んでみてほしい。
さて、結局のところ「みんなの意見」は正しかったのか、それとも正しくなかったのか。両方とも正しい、というのが僕の考えだ。当然なことだが、CMの好感度がよいことで高く評価されるのは広告代理店や製作会社、俳優などであり、また場合によっては企業イメージである。昨今の世の中の傾向では、テレビCMが売り上げに直接は結び付きにくい、という例も多く見られるという(参考:“テレビCM崩壊”時代、ネット広告の役割とは)。
とすると、CMの好感度の高いドコモは、ドコモで広告に関わっている部署の人間や広告代理店、製作会社が褒められるべきであり、契約者数が減っているのは経営や営業に関わる部署の人間が責められるべきであり、両者は別に矛盾しない。
特に集合知が有効にはたらくための条件などという話や、理論と現実のギャップの話などをしなくとも、すんなりと納得できる(ちなみに食い逃げの話は会計的見方を強調するための詭弁だと思っている)。「集合知の虚像」というタイトルに惹かれた僕はだまされやすいお人好し、という結論だ。
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