2005-12-15

営業的思考?

「営業的思考」というタイトルの話で、以下のようなクイズが出された。

<<問題>>
Aさんはフリーマーケットに、10,000円で売ろうと思ってテレビを持っていきました。
みると向かい側に、まったく同じ型のテレビを売っているBさんがいます。こともあろうか、Bさんの売り値は8,000円です。さて、Aさんが利益を損なうことなくテレビを売るためには、どうしたらよいでしょう。


その話の中で正解とされた答えには納得できなかった。問題点は、市場は底無しに製品を求めているという前提がなければ、そのクイズで正解とされる解答は成り立たないからだ。では僕だったらどのような答えを出すか。とりあえず10個考えた。

その1
日を改める

その2
べつのマーケットに行く

その3
Bさんと談合する

その4
真っ白に塗って、角を落として「iTV」とかなんとかいって売る

その5
真っ赤に塗って、つのを付けて「シャア専用」

その6
10,000円で売るかわり、買った人の家まで届ける。求めに応じて配線もする

その7
テレビ型の金魚鉢(あるいは蟻の飼育・観察箱、鳥篭など)として売る

その8
まったく売れないよりは8,000円のほうがよいから、8,000円で(あるいはもっと安く)売る

その9
売ろうとしているテレビを使いつづけることによって、出費を10,000円以上おさえる

その10
自分にとって不要なものを見つけ、抱きあわせ販売する






































<<その話のなかでの正解>>
Bさんのテレビを8,000円で買い、ふたつのテレビをそれぞれ10,000円で売る

2005-12-13

悲しみの方眼紙

巷に「Excelおじさん」という言葉がある。おもに中年以降の、仕事の道具にExcelを好んで使うひとたちで、こうした人からきたメールの添付ファイルを開いてみたら、セルでインデントを表現したテキストだったりする。

僕はどちらかというとExcelが嫌いなのだけど(というより、うまく使えないから仕事の効率が悪いだけで、ソフトが嫌いなわけではない)、悲しいかな、ここ2週間ほどはエディタを使うのと同じくらいの時間Excelのシートをいじっている(どうして設計書がExcelで書かれているのだろう?)。情報技術業界に鬱病が多い理由の一端はExcelにあると盲信する僕の精神は、こうして蝕まれていくに違いない。

なにはともあれ、精神安定のためにもExcelを使えるようにならなければいけない。とはいっても「セルの幅を変えましょう」とか「文字の色を変えましょう」とかそういうのはいらない。外部ツールで実現するのも望ましくない。単純に出来合いの機能を使ってできることだけでどうにかしたい。

たとえば

  • 正規表現は使えないのだろうか
  • もし(手っ取り早く)正規表現が使えないとしたら、巷のExcel使いたちはどのように検索するのだろうか
  • テキストボックスのようなオブジェクトに書かれた文字列を検索することはできないのだろうか
  • 大量のExcelブックを検索して、条件に応じて置換するにはどうしたらよいのだろうか(GoogleデスクトップとかテキストにしてNamazuとか、検索はとりあえずできるけど置換できないし)
  • ふたつのファイルの差分を確認したりマージしたりできないものか
などをどうにかしたい。

と書いてみると、使いかたを間違えているとしか思えない。表計算アプリを方眼紙のように使うのはどう考えてもおかしい。けれどもそれが便利と思ってそのように使う人がいる以上、Excelにはそれを許容するだけの懐の深さがあるわけで、やはり高機能・高品質なソフトなのだろう。僕にはExcelは高機能すぎるようだ。

2005-12-05

ニッチ市場

体重が実際より2キロ軽く表示される体重計。
ダイエット用食品や機材を売る会社向け。抱きあわせ販売に最適。「今ならもれなくシンプルなヘルスメータプレゼント」みたいな感じで。

体温が実際より2度高く表示される体温計。
小学生向け。校門の外でミドリガメや「ミニウサギ」「ひよこのまま大人になるひよこ(オス)」などと一緒に販売する。「おかあちゃんに内緒で500円持っておいで」と売るのが正統派。

妄想はとめどなく。

2005-12-04

世界は広く、自分は小さい

今日、同居人の祖母の年回法要に行った。僕はお経が(それなりに)好きなので、葬式や何かで坊さまの音楽的言語を聴くことに(費用とその他の社会的問題がなければ)やぶさかでないのだが、今回も大いに楽しんだ。

大いに楽しんだのちにふと思ったのが、僕の祖父が死んだのは3年前だということだ。祖父は真言宗智山派の仏教徒だったので、多くの場合は亡くなって2年目の命日に三回忌というものを執り行うはずだ。しかし昨年は祖父にまつわる宗教的行事が営まれなかったことに気がついた。ひょっとしたら僕が呼ばれなかっただけなのかもしれないし、誰も思い出さなかったのかもしれないし(菩提寺がそれを許さないだろうから、この可能性は無に近い)、親族関係になにか微妙な問題が生じたのかもしれないし、父が経済的に困窮していたのかもしれないので、父に電話をした。

父答えて曰く、「面倒だからしばらくはやめにした」

世界の広さを見せつけられた。