2007-03-30

歪んだ愛

東京都知事選と都議会議員欠員選の選挙運動が激しい。一日中駅から徒歩一分の自宅で寝ていると、ものすごく憂鬱になる程に激しい(別に政治的立場をあれこれいうわけではないが、特に共産党候補者の演説はうるさい)。朝8時から9時、正午前後、18時から20時がうるさいようだ。

右翼の街宣車や携帯電話屋、パチンコ屋など、周囲まで不愉快にする程に騒々しいものは多いけど、選挙活動も不愉快だと思う。演説している内容がほとんど空っぽだから、なおのこと不愉快だ。

どこに苦情を持っていこうか考える前に公職選挙法を読むと、140条から141条あたりに拡声機の使用台数や演説内容についての記述はあるが、音量や音質に関する記述はなさそうだ。

Wikipediaで調べると、「選挙運動に関するものについては、騒音問題として取り締まりを行うことはできない」とのこと。駅のそばに住んでしまった以上、直接文句をいうか、泣き寝入りする他あまり道はなさそうだ。

まったく音に関する悩み多い。僕自身、人一倍音を愛しているという自負があるが、それは音を無条件に愛することではなく、僕の主観で美しい音のみを愛しているという、歪んだ愛情だ。

2007-03-29

携帯電話から写真を送る

僕がいま使っているノートPC(ThinkPad X22)にはDebian GNU/Linuxをいれている。このノートPCにもIrDAデバイスがあるので、携帯電話(DoCoMo P901i)から赤外線通信でノートPCへ写真を送ってみようと思った。

まずはrootでパッケージのインストールと設定。
# aptitude install irda-utils openobex-apps

すると設定を聞いてくるので、適切に答える(僕は始めは適切な設定がわからなかったので、dpkg-reconfigure irda-utilsを使った)。
以下はirda-utilsの設定
・IrDAを起動時に有効にする。
・探索モードにする。
・IrDAデバイスの種類をネイティブにする。
・赤外線通信チップの種類をnsc-irccにする(これが適切かどうかちょっと自信がない)
・赤外線通信チップのモジュールのオプションは設定しない。
・setserialで発信を止めるポートは設定しない。

設定が終わったら、デーモンを再起動して、カーネルにモジュールを追加する。
# /etc/init.d/irda-utils restart
# modprobe irda0

そして、一般ユーザにもどって
$ ircp -r
で通信待ちになるので、そこで携帯電話から写真を送信するとカレントディレクトリにmypic.vntとかいうファイルができる。

そのファイルの中身をlessとかで見ると、DoCoMoがタグ付けしたファイルで、調べてみるとBODY部分は単純にBASE64エンコードされているだけっぽい。だから単純にデコードする。それ用のスクリプトとかを公開しているサイトもあるので、苦労はしない。

こんな感じで結構面倒だけど、携帯電話から転送することもそれほど多くない(というかあまり携帯電話を使わない)ので、これでよしとする。

しかし、こんなところにこんなことを書いても、僕以外に役に立つひとは決していないと思う。

2007-03-27

牛乳の歴史

自分の記憶では「日本書紀」に牛乳について何か書いてあったような気がする。何かで大化の改新頃に百済から来たひとが「乳長上」とかいう役についたと読んだ記憶がある。そして「延喜式」に乳製品について書いてあった記憶がある(蘇から醍醐をつくる、というような)。さらに織田信長が牛乳を飲むうつけ者だったという逸話を聞いた記憶がある。

で、一般に牛乳は明治以降にひろまったとされている。ここで素朴な疑問。室町から江戸の頃は牛乳は一体どうなっていたのだろう。また、日本書紀に書いてあったような僕の記憶が正しければ、百済伝来はなんだったのだろう。

ちょっと調べようとgoogle様にお伺いを立ててみたところ、諸説入り交じっていて見当もつかないから、自分なりの想像で満足することにした。歴史や民俗学をやっているひとに期待したい。

そして、調べる(といってもウェブサイトなど二次情報を眺めるだけだ)過程で気になる記述があった。

「牛乳瓶に口をつけて牛乳を飲む際に、腰に手を当てて飲むことがひとつの様式とおかしみをこめて認識されている」


これは百科事典としてはいかがなものだろう。

2007-03-14

現実感

「現実感はありますか?」と聞かれた。僕は聞かれた内容を理解できなかったので、「それはどういう意味ですか」と聞き返したところ、「まるで今住んでいる世界が現実ではなく、ヴァーチャルな世界にいるような感じがするかどうか、ということです」という。「愛国心とは何か」と聞かれて「国を愛する心です」と答える話と同じで、意味を話しているのではなく、単に言葉を継ぎ足して説明しただけだというツッコミをいれたかったけど、悪い印象を持たれたくないのでそれはひとまず流した。

僕はこの手の話は中学生の頃から好きで、SFのテーマにも哲学のテーマにもなる。医学的にどんな常識があるのかは知らないけど、かりにヴァーチャルな世界にいる人間が現実世界にまぎれていたら、それは当人にとっての「現実」であり、決して「ヴァーチャル」ではないし、逆に世界がヴァーチャルだとしたら、ヴァーチャルこそが「現実」だろう。したがって、先の精神科医への答えを僕なりに正直にいうと、「わかりませんし、知りようもありません」になる。

実際には質問を設定しなおして、「仮に一日中夢を見ているかのような感覚で、現状認識に違和感があったり、一貫性がなかったりするか、という事でしたら云々」というふうに話をしたけど、精神科の診断って難しいな、と思った。と同時に「現実感とはなにか」という疑問を持ってしまった。

実際、現在の僕は現実感が薄いと思う。というのは以前はできなかった口約束をすることができる。本当は行きたくなくとも「気晴しに旅行にでも」とかいわれると「いいですね、そのうち行きましょうか」とか答えてしまう。毎朝家の前を通り過ぎる満員電車の中の人の感情を想像できない。ご飯を食べた直後に「さっき何を食べたっけ」と思ってしまう。ニュースを見なくなってきたので、世界に何が起こっているか知らない。買いものメモを作っておかないと、冷蔵庫に卵が20個くらい入る結果になったりする。脈絡の無い妄想はいろいろと出てくる。でもこれって、結構普通の感覚なのではないかと思う。

さて、今朝は会社でミーティングするという非常にリアルな夢をみて目が覚めたのだけど、目が覚めた後の僕が現実か、目が覚めたという夢を見ている僕が現実か、誰に判断できるというのだろう。独我論も純粋に論理だけでは反証し得ない完全なものだと思うし。

2007-03-08

区立図書館事情

配偶者が静養のために実家へ帰った。その際に、配偶者が図書館から借りていた本の返却(入院中に返却期限を過ぎていた)を頼まれたので、はじめて自宅から徒歩3分の区立図書館へ行った。せっかく図書館へいったのだから、書架を一通り眺めて帰ろうと思い、社会科学系と自然科学系の開架にざっと目を通した。

僕は高校生までは図書館を有効に利用した経験はあまりなく、大学図書館が初期体験としてインプットされている。僕が在学していた頃ではいまよりも貧弱ながら、それなりに大学間でのネットワークがあったので、提携していた大学図書館も利用させてもらっていた。閉架書庫にもそれなりに目を通している。

そして今回が僕にとっての区立図書館デビューなのだが、はっきりいって失望した。もちろん予算も違うし利用目的も違うから、開架されている書籍にははっきりと傾向の差があらわれるとは予想していたけれど、それにしても酷い。ざっと見たところ、僕が読みたいと思った本は社会学理論の古典数冊と民俗学関連数冊しかなかった。コンピュータ関係なんて、動物が表紙の本は1冊しかなかったし、UNIX関連の本は「自宅でホームLinuxサーバ」系統の本(しかもそれらの内容が古いハウツーなので、今となっては役に立つ部分は少ないどころか害になる部分も多かった。大体自宅サーバで安易にtelnetを使うとか、つっこみどころ満載だ)や「ホームページのつくりかた」系統(しかもそれも内容古いので、例えばHTMLの書き方にしても現状の標準からは決しておすすめできないものが書かれている)しか見られなかった。

一部分しか見ていないので判断はできないが、それなりの蔵書数がありながらこんな本を借りて、それなりの時間をかけて読もうとする区民がいるなんて信じられないし、こんな本を限られた書架に入れようとする関係者の見識も信じがたい。僕自身学部生時代に図書館運営サークルに属し、図書館運営、特に購入図書の選定には多少の関わりがあったので、僕のいうことはそれほど見当違いでは無いはずだ(なお、僕の自宅の蔵書を見たことのあるひとは、若気の至りの残骸が多く含まれていると思ってほしい)。

もっとも最近の公立図書館はネットワークがかなり密になっているらしいから、ひとつの図書館で判断するのは、2ch.netの特定のサブドメインをみてThe Internetを判断するようなものかも知れないが、図書館の利用目的は受験勉強に励む場所、新聞や雑誌を読む場所、単発ベストセラー小説を借りる所ではなく、単純に有用な知識なり資料なりを入手する所だと信じている。もっともベストセラー小説も新聞や雑誌も有用な知識や資料であることに間違いはないが、それはメインでは無い。

幸い現在僕にも収入や貯蓄があるから多少高価な書籍も購入可能だし、かつて所属していた大学の図書館を利用する権利も持っているので、入手困難なあるいは目を通すだけで済ませたい書籍にふれる機会はある。しかしこうした恵まれた境遇にいる人間はそれほど多くないと思う。

納税者である区民、区議会議員、区立図書館関係者や、書籍卸売業者や出版社の再考を促したい一方、僕にできることとしてまずは区立図書館事情を調べ、区立図書館愛用者である配偶者(文学専門の利用者だ)を問い詰める所からはじめたい。おそらくそこで「マニアック過ぎる」といわれて玉砕するに違いないが。

2007/3/8 23:50頃、以下追記。
社会科学系で読みたいと思える本が少なかったのは、僕の現在の病気による可能性もあるので、ちょっと悪く書きすぎたかもしれない。実際3/5に恩師から頂いた近著ですら、まだ目次しか読んでいない。ただし、コンピュータ関係でろくでもない本しか置いていなかったのは病気をさしおいても確かな事だ。

2007-03-03

LGBT市場

どこかのサイトでそんな記事を読んだので、つらつらと考えた。僕がこれまで知り合った人の中には数人ゲイの人がいた。別の経路で僕と知り合った男性たちがカップルだったことが、たまたま後で判明したことさえある。それくらいに多くの人がゲイだということだ。

日本の人口のうち、仮に5%程度がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)だとしたら、そこをターゲットとしたマーケットセグメントが目立たない(あくまで目立たないだけで、あることは充分承知している)のはおかしいと、前々から思っていた。仕事柄さまざまなWeb上での商売を観察するのだけど、ポルノだって日本語の総合ポルノサイトはへテロばかりだけど、世界的に見れば総合サイトではきちんとそれ用のコーナーが設けられていたりする(と友人から聞きました、ということにしておいてください。友人から聞いたんです)。

オタクとか腐女子とか非モテとかなんとかをマーケティングするよりも、指向性がはっきりしているぶん、セグメント可しやすいと思うし、LBGTは平均的に可処分所得が多いと予想される。子どもを持たない、あるいはかなり面倒な手続きを踏まなければ子どもを持てないライフスタイルを採るだろうから、可処分所得が大きくなるはずだ(オタク、腐女子、非モテが子どもを持つライフスタイルを選択するかどうかはさておき。なお、僕はオタク、腐女子、非モテに対する差別的偏見は持っていないつもりでいます。また僕は腐女子ではありませんが、定義次第ではオタク、非モテである可能性は充分あります)。

ただ、少子化傾向の著しい国や地域では政治的にそうした商圏が受け入れられないとも思うし、長期的スパンで見たときに、労働人口がへるなら生産性が高くならなければいけないというような経済的問題もある(のだと思うが専門外なのでよくわからない)。

しかし、商売人にはそんなことは関係なかろう。僕の知らない所でひそかに商戦が繰り広げられていると想像すると、ちょっと面白い。