2006-11-19

賢くあってほしい

少し前に人から聞いた話だけど、埼玉県警の警察官が強盗事件の容疑者となっているらしい。今の仕事に就いてからニュースを見なくなったので、詳しいことはほとんど知らない。

しかし思ったのは、警察官ともあろう人がどうしてそんなにわかりやすい犯罪に走ったのだろうということ。もっと職務上の権限を有効に活用した犯罪ができそうなものなのに。たとえば家宅侵入なんてのは一般人よりもやりやすいだろうし、用意周到に計画を練れば、空き巣ねらいとかかなりばれにくいのではないかと思う。それに最近流行りの裏金とか、やろうと思えばそれなりにできるのではないかと思う。裏金と行かなくとも、多少のリベートを受け取る程度のことは不可能ではない。

もっと犯罪の種類や方法を考えてほしかった。白昼に強盗をして無事逃げおおせることが可能だと考えるほど、自分と同じ業種の人たちの仕事振りを低く評価しているのがとても悲しい。あるいは「自分ならこうすれば捕まらない」と勘違いするなど、自分の能力を相対的に高く評価しすぎていたのかもしれないけれど、いずれにせよ悲しい。

2006-10-18

コップの水

コップに水が入っている。この水を「もう半分しかない」と考えるか、「まだ半分ある」と考えるかで、人生は大きく変わるものだ。

という話をはじめて聞いたのは、おそらく20年くらい前、僕が小学生の頃だ。はじめて聞いたときにはなるほどうまいことを言うものだと思ったけれども、さすがにいまさら聞いてもたいした感慨もなく、この素敵な紋切型表現の来しかたを思う位だ。だいたいコップにはいった水をどう評価するかという複雑な問題をたったふたつの選択肢に代表させて、もっと複雑な人生を語ろうとするなんて傲岸不遜な話だと思う。

しかし近頃は、いろいろと考えるようになってきた。

  • そもそもコップなんてそこにはない。きっと熱にうかされているのだろう。
  • そのコップは清潔か。その答えによって今後の行動が変わる。
  • そのコップは売りさばけるか。その答えによって今後の行動が変わる。
  • 半分の水は飲んでしまったのか。もし飲んでしまったなら、水はコップから胃に移動しただけで総量の変化はないし、今後の行動に影響はない。
  • もしはじめから半分しか入っていなかったなら、今後の行動になんの影響もない。
  • 仮に半分はこぼしてしまったとしても、宇宙から見たときには地球上の水素と炭素の総量は変わっていないから、今後の行動にさしたる影響はない(かもしれない)。
  • そういえば最近は水を飲まない。
  • 花をいけるのにちょうど良いかも。

僕は幸せかもしれない。

2006-09-01

懐かしの逃走

楽天証券とWikipediaのからみがごく一部で話題になっているけれど、私見によると楽天証券の謝罪は大人の対応というか、政治的な対応であり、本来は謝罪するべきではないと思う。

業務改善命令が出されたことが事実であろうとなかろうと、Wikipediaの記事は公正かつ中立な意図をもって編集されることを単に期待するだけである。事実であればそれは記述するべきであり削除されるべきではない、などというイノセントな世界ではない。

その記述を担うべき個人に期待されるものはかなり厳しいハードルとなる。そのため、大勢の意見をもってよしとするのはそれなりに合理的だ。公正で中立な個人など滅多に存在しないのだし。

そうした中、誰にでも編集する機会は提供されている。その個人がどのような思想信条を持っていようとも、どのような組織に属していようとも、偏った記述は大勢の目に晒されることによって中立な方向へ修正されると期待される。

実際には大勢で偏った方向へなびいていたとしても、それは不問とする(例えばワイマール憲法下でアドルフが圧倒的な支持を得たりしても、民主主義的には問題ない)。自由から逃走していようとも、取り立てていまさらいうこともない。

件の楽天証券社員は、おそらく自らの思想信条と利益に導かれて、記述の編集をした。それが不当だと思うなら大勢の目に晒されることでおそらく修正されるだろし、誰にも騒がれなければなかったことになるだろう。ちょうど僕が未成年で喫煙するという悪事をはたらいても誰も騒がなかったように。逆に異なる立場の人が騒ぎたてて編集合戦が起こったらおそらく凍結されるだろう。それだけのことだ。

今回の一件で、「楽天証券は悪い奴」的な流れになった。それを受けて楽天証券は謝罪し、記述削除をした社員を処分した。世間様をお騒がせしたことに対する対症療法としてはそれなりに効果的だけど、そのような処分や対応を促す世間様には薄気味の悪いものが残る。