2010-07-29

エレベータ・ガソリン料金・秒速5cm

雑談です。

東北地方某県の県庁に用事があって赴いたのですが、そこのエレベータがかなりの年代物で、近年味わったことのない浮遊感を得ました。思えば近頃のエレベータは発進・到着時には絶妙に速度を調節して、加速度を感じさせないようなものになっていることを再発見しましたが、かつてはいつでもエレベータに酔うような感覚があったのですよね。故きを温ねて新しきを知る、という感じです。

県庁から途中2カ所に立ち寄りながら60kmほど離れた別の街に移動する際、ガソリンの残量が気になったので、道沿いのガソリンスタンドに掲示されている値段を気に留めながら車を運転していました。そこで気がついたのは単なる思い過ごしかも知れないけれど、都市部と比べて山間部のスタンドほど、普通料金と会員料金の差額が大きいように見えることです。勝手に推測するなら、一見さんを多く呼び込める可能性のある人口集中地帯は普段の料金を安くし、その可能性の低いところではリピートユーザを囲い込むもくろみなのかな、と想像しますが、本当のところはどうなのでしょうね。

今週はじめて映画(DVD)を見る時間の余裕があったので、ホテルに持参のノートPCにて、以前から見よう見ようと思っていた「秒速5センチメートル」(新海誠監督)を見ました。僕のツボにジャストフィットです。「ほしのこえ」以来のおなじみ新海カットといい、あるようなないようなストーリーといい、心象を風景に託して描写する手法といい、見事に監督の自己満足(自意識過剰というかも)を見せられた気がします。

(ネタバレかも知れないので白字。反転して下さい)三話の連続した短編をつなぎ合わせた形式なのですが、はじめのどうしようもなく若くて甘々で恥ずかしいところ(中学生)から、中盤の妙に世界に対して構える恥ずかしいところ(高校生)、終盤の失われて取り戻せないものにこだわり続ける痛々しいところ(大人)まで、とにかく恥ずかしくて身につまされて、身悶えするほどに僕の幻想をくすぐりました。二話目のロケット発射シーンと、三話目の「One more time, One more chance」にあわせた風景のラッシュは、(ここまで)僕にとっての完璧な演出でした。

今日読み終えた『音楽好きな脳』に、以下の素敵な記述がありました。

音楽を聴く脳のストーリーは、脳のいくつもの領域が、管弦楽を奏でるかのように絶妙な調和をとりながら機能していくストーリーだ。そこには、人の脳の最も古い部分と最も新しい部分がともに関わり、後頭部にある小脳から両目のすぐ後ろにある前頭葉まで、遠く離れた領域が加わっている。そこでは、論理的な予測システムと感情的な報酬システムとの間の神経化学伝達物質の放出と取り込みに、綿密な演出が施されている。私たちがある曲を好きになるのは、以前に聞いた別の曲を連想し、それが人生の感傷的な思い出にまつわる記憶痕跡を活性化させるからだ。

まさに上記で指摘されているとおり、このアニメ映画は、以前みた情景や心象を連想し、それが僕の感傷的な記憶を活性化させました。北関東は太陽系外と同じくらい遠いのです。ただし好みの音楽が個人によって異なるのと同様、このアニメは受け入れられない人にはひどくつまらないものでしょうね。配偶者は「すごくつまらなかった」といっていましたし。

2010-07-26

近頃の読書

いま『音楽好きな脳―人はなぜ音楽に夢中になるのか』(ダニエル・J・レヴィティン)を3分の1くらいまで読んだのですが、この本は音楽好きと科学好きにとってはとっても面白い本の予感がします。まだはじめのほうなので、音楽の構成要素を物理的に解釈するとどういうことなのかとか、脳による解釈はどのように行われるかという話ですが、目次によると、さらに進めばもう少し脳と心の働きについて突っ込んだことが書かれているようです。

その他、近頃読み終えた本。

■『バッカーノ!1931 鈍行編―The Grand Punk Railroad』と『バッカーノ!1931 特急編―The Grand Punk Railroad

アニメにもなっている有名ライトノベルですから話の筋は置いておき、誤字(誤植か、それとも意図的なものか)の多さが気になりました。漢数字の二がカタカナのニになっているとかではなく、凶行が強硬になるような、変換ミスのようなものが目につきます。

それにしても、「レイルトレーサー」の怪物ぶりは反則だと思いました。すでに不老不死とか悪魔とかの反則をしているから別によいといえばよいのですが、ファンタジー世界で魔法と関係なく魔物と仲良しとか、SF世界で科学と関係なく魔術的だったりとか、そんな感じです。

■『仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣 (ソフトバンク新書)』(藤井義彦、ソフトバンク新書)

「瞑想やってみたら良かったよ」という気軽な感じです。著者自身、瞑想を誰かに教えたり伝えたりする立場にいるのではなく、「瞑想をしていますよ、いいですよ」という立場だし、霊的なものとか神秘的なものとかには立ち入らないので、比較的信頼感がありました。

とはいうものの「本当の自分に向き合う」とか、胡散臭く感じてしまいます。僕も「座る」習慣があるので瞑想の良さはわかるつもりなのだけれど、そんなに大層なものでもないような気がするのですよ。人に勧めるために効果のほどを大々的にいうのでしょうが、眉唾という可能性もあります。合う人には合うのでしょうがね。

2010-07-19

カミソリの進化

大学生の頃に駅前で試供品をもらって以来、僕はT字カミソリで髭を剃っています。元々髭の薄い質なので、それほどカミソリに負荷はかけていないのですが、このカミソリの買い換えって数年に1回程度です。替え刃式なのに、替え刃がどこにも売っていないくらいの頻度です。

さて、5年ぶりくらいにカミソリを買い換えるにあたり、品にこだわりはないので、ドラッグストアに並んでいるものの中から最もコストパフォーマンスの良さそうなものを選びました(眺めるだけでわかるものではないのですが、値段とグレードと替え刃の数で決めます)。今回買ったのは4枚刃、刃が振動するタイプで、替え刃3つ付きで約600円でした。

ずいぶん前に企業経営の話を読んだなかに、ジレットだかシックだかの最大のライバルは現在までの自社であるということが書いてありました。その意味することは、常に新しい製品を出し続けて自社製品を超える満足を提供しないと商品が売れないということですが、カミソリなんてそれほど複雑なものではないから、イノベーションはそうそう起こるまいとたかをくくっていました。

ところが使ってみるとこれまでとは本当に違う感覚で、かなり驚きました。こんなに刃をたくさん使う必要はなんだろうか(掃除が面倒そう)とか、振動すると皮膚まで切れてしまうのではないかとか、いろいろ不安もありましたが、髭がっひっぱられる感覚はないし、皮膚を削る感じもしないし、引っかかりもしない。なんだかなめらかな棒やプラスチックか何かをあてているようで、鋭利な刃物をまったく感じさせません。

これがなんだか変な感じなのですよね。『ガラスの仮面』とかスケバン刑事とかで、安全カミソリの刃を衣装の襟や封筒に入れたり誰かを傷つけるために使ったりしたのに対し、本当に隔世の感があります。道具がその本性を全く隠してしまっているかのようで、その危険性を多少は表に出したほうが安全に使えるのではないかなどと考えてしまいました。

2010-07-16

『ゼノンのパラドックス』

僕が学部生で哲学を受講していたとき、ある講義で教授はゼノンのパラドクスについて話をしたのですが、無限級数の問題がどうして哲学的な謎になるのか僕にはどうしても理解できませんでした。アキレスと亀のパラドクスを例にとれば、1) アキレスと亀の距離は0に収束する。2) 仮に収束を解として認めないなら、「アキレスは追いつけない」のではなく「問いをやめられない」の錯覚であり、アキレスが追いつけるかどうかは問題ではなくなる というような感じでかみついたのです。

そんなこんなとは関係なく、『ゼノンのパラドックス―時間と空間をめぐる2500年の謎』(ジョセフ・メイザー)を読みました。どことなくすっきりしない感想を持ちましたが、パラドクスが微分の話にとどまらないということは得られて良かった知見です。本書は決してゼノンのパラドクスに焦点を当てているのではなく、運動(物理的な意味での)と時間・空間について話を巡らせています。本書では古代ギリシャでの制約(無限の概念を封じたこと、無理数がないことなど)を、数学的・物理学的に徐々に拡張しても、やはり運動には不明な部分があるという歴史を、物語風にたどっていきます。

こうした数学(特に微分のあたりまで)と物理(特に相対論・量子論以前)の物語という面ではとても良い本だと思いました。速さ=距離÷時間という小学校で習うことも、時間という計量可能な数値を持たなければ考えることもできませんし(機械式時計の発明以前は、小さな時間を計測することができなかった)、もっと現在に近いところ(過去100年程度)でも、物体の運動を極大と極微にするとどう考えることができるのか、とか、「わあ、びっくり」と思い知らされます。

ただ、全体の見通しを立てにくい本です。ちょっと話が拡散しすぎているような印象を受けました。

目次
第1部 ざわざわとした不条理
 1. 運動の逆説を語る前に
 2. アテネへ
 3. アリストテレスが見た世界
第2部 ゼノン、ルネサンスを生き延びる
 4. 速さが量となる
 5. ガリレオ・ガリレイ――近代科学の父
 6. 惑星の舞踏
第3部 ゼノン、時の砂に埋もれる
 7. 止まって動く――時間と時計
 8. デカルト、そしてxとyの魔術
 9. 矢の軌跡
 10. りんごから啓蒙時代へ
第4部 ざわざわとした不条理ふたたび
 11. 光の速さ
 12. アインシュタインの時空革命
 13. おっと、また粒々になるじゃないか
 14. 隣はない、でも「隣」って何だ?
 15. 一筋の流れ

『バッカーノ! The Rolling Bootlegs』

いまさらですが、『バッカーノ!―The Rolling Bootlegs』(成田良悟)を読みました。思うところはいろいろありますが、お祭り騒ぎは楽しく、まさに消費のための読書という感じです。

言葉が一風変わっているところ(誤字や誤記かも知れない)や、1930年代のニューヨークでは知るはずのないこと(とくに直喩で気になった)や、「偶然」「必然」「螺旋」「永遠」「監獄」といった言葉が直截すぎてなんだか気にさわることはさておき、楽しく読みました。

こういう小説を読むときの作法として、どの登場人物に萌えるか、という重要な問題があります。その際に前提として共有されている「キャラクター」という考え方に、近頃僕は引っかかりを感じているのですよね。記号のように「この人物はこういう人」と当てはめたり、逆に「よく知られるこういう行動(や属性やetc.)の集合でこういう人物」となっていたりするのは、小説を楽しむ程度なら何の問題もありませんが、現実にまで敷衍されたりすると、人間の複合的な性質を軽視することになってしまうのではないかな、と思っているのです。

「キャラ」について上記のようなことを高校時代の友人に話したら、「それって東浩紀がずいぶん前に書いていたことだよね」といわれました。何となく「しまった」という感じ。

熱い講演を聞きました

仕事のからみで大久保秀夫氏(株式会社フォーバルの創業者)の講演会に参加しました。要点の一つはCRM(Cause-Related Merketing)、一つはBOP(Base of the Pyramid)、もう一つは「決断」です。

CRM(普通にいわれるCRMではありません)の要点は、社会にどんな貢献ができるのかを中心に考える、ということ。「儲かるか」から「競合はどうだろうか」と考えて、「法的にクリアできるだろうか」と検討をして事業を進めるよりも、「この事業には社会的価値があるだろうか」「誰もやらないのだろうか」と考えて「事業として採算が合うか」と検討してゴーサインを出すのが、大久保氏の考える最良な順番だということです。社会的価値についてはいろいろな事例があげられたけれど、興味深かったのは就職人気企業ランキングの上位にNPOが入っていること。牽強付会気味に聞こえたけれど、「トップエリートはJPモルガンを蹴ってもTeach for Americaを選ぶ」とか。その理由付けとして、すでに紋切り型になりつつあるマズローの欲求階層説をあげていました。曰く、承認欲求以上の欲求(自己実現欲求)を求めるためとか。理由付けは少し眉唾な感じです。

もう一つの要点は、ピラミッドの下側をビジネスの場所としていくということ。言い換えるなら伸びない市場よりも伸びる市場で、ということ。まあいってみれば当たり前なことですが、講演者はメコン川流域に力を注いでいらっしゃるそうです。

また、講演の中心的テーマの「決断」については、「魂の決断」をすることが成功と失敗を分けるとのことでした。「体の決断」(暑い、寒い、眠い、疲れた)ではなく、「心の決断」(好き、嫌い、得する、損する)ではなく、善か悪か・正か否かという基準で純粋に行うとのことです。また、自分が「余命三ヶ月」だとしたら何にプライオリティを置くかという観点から決断するということです(僕が余命三ヶ月だったら仕事はしません)。

ビジネス書やビジネス系講演会のパターンは、一つは数字や事例をあげて理論に当てはめていくタイプと、もう一つは熱意や動機やポリシーや不撓不屈といった心持ちを熱く語るタイプだろうと何となく思っています。後者の講演を聞くメリットは、そのときに気分を高揚させることができることですが、気持ちのこととなると熱しやすく冷めやすいのが人情というもの。スーパーマンにならできることよりも、僕としてはありきたりのいろいろな性格を持った人にできることのほうが好きですが、ありきたりの人だと「成功」はできないのでしょうね。

著書の『The 決断 決断で人生を変えていくたったひとつの方法』をいただきました。そのうち読むと思います。

2010-07-10

『死亡フラグが立ちました!』

死亡フラグが立ちました!』(七尾与史)を読みました。歯切れの良さが素敵なゲーム感覚の作品でした。

本書は第8回「このミステリーがすごい!」大賞最終候補作品を加筆(というより、絞り込み)修正したものだということです。僕の感想は、ミステリーとしてはいかがなものか、というものです。そもそもミステリーって、すごく限定された作法を持ちますよね。犯人は登場人物の中にいなければいけないし、奇想天外なトリックは許されるにしてもまったく現実感のないものは許されません。その点で言えば、この作品は犯人探しの面白みもトリックの工夫もさほどありません。

犯行は「風が吹けば桶屋が儲かる」のように行われます(この位ならネタバレではないと信じつつ)。その理屈は、かの『緋色の研究』でホームズがワトソンの身辺事情を言い当てたときのように、かなりこじつけです。ストーリーはかなり先読みできます(実際僕は、本書の2/5くらいで読み進めたところで予想し、ほぼその通りになりました)。登場人物達はどこかで類型化されたことのあるような人たちで、まさしく「キャラクター」と呼ぶにふさわしい感じです。

ですがそれがきっちりと組み合わさったときのおもしろさというのは、新しい感覚といえなくもないかな、と思いました。感触が似ているといえば、映画の「下妻物語」のようなもので、パッチワークのようにすでにある「お約束」をつなぎ合わせて、それらの「お約束」がイベントを経て伏線になり、軽く楽しく、すっきりさっぱり、テンポ良く進んでゆきます。

「キャラが立っている」という言い方をしますが、新しいキャラを創造しようとするか、既存のキャラを修正しようか、それともこれまでのキャラを純化しようか、というような選択肢があったなら、本書はその最後の純化する道をたどったのでしょう。これをおもしろく感じるには、読み手がかなり均質である必要があるな、と思いました。映画やドラマや漫画や小説やゲームといったコンテンツをある程度消費した経験のある人には、様々な説明をしなくとも世界を読み取ってくれるメリットがあるし、メタな楽しみかたをするところもあります。ですが反面、経験の蓄積が浅い人(例えば小学生とか)だったらどう読むだろうと思うと、すこし気になります。今のところお約束となっている様々なことは、これまでのいつかに斬新だったことで、それらのエッセンスを抽出したようなものだからおもしろいとは思うのですが、おやじギャグのたどる道と同様、うまくワクを作らないと寒いだけになってしまいます。

書いているうちに、こういうのは「紋切り型」や「クリーシェ」と同じことだなと気づきました。まるで紋切り型表現だけでおもしろいことを言う人もいるし、寒いだけになる人もいるようです。そして本書は、おもしろくなったほうの素敵な例でしょう。