2009-09-28

『アンティキテラ』

アンティキテラ古代ギリシアのコンピュータ』(ジョー・マーチャント)を読みました。お酒の席でコンピュータ理論の話をしていたら、オーパーツのようなものとして「アンティキティラの機械」が話題に上ったのですが、浅学ながら僕はこの機械を知らなかったのです。

話を聞いてはじめに想像をしていたのは、計算尺のようなものでした。「コンピュータ」の定義にもよりますが、最も広い意味で言うなら、ある状態を出力するための遷移関数が定義されているもの、というようなことになるでしょう。なんと言ってもこの機械は紀元前100年頃につくられたという話でしたので、そうそう複雑なものではあるまいと思っていたので、せいぜい目盛りに工夫があるくらいなのだろうと想像しました。ところが本を読んでみると驚くことに、なんと青銅製の歯車式なのですね。機械の目的は確定された説ではないようですが、おおよそは天体の運行をシミュレートするものです(惑星の運行をモデル化したものとか、日食や月食を計算するものとか、諸説あります)。こんなに複雑なものが作成されたこと、作成できたことに単純に驚きました。

本書を読んでまず感じたのは、科学の営みが脈々と引き継がれている(あるいは引き継がれていた)ことに対する尊敬の念です。天体の観測が数百年というオーダーで続けられ、記録されていなければ、精度の高い天体モデルはできません。バビロニアで営まれた観測結果がギリシャでモデル化されるなんて、素敵ではありませんか。

次に感じたのは科学者たちの人間性が多様なことです。この機械が見つかってから100年、様々な科学者や技術者がこの機械を読み解こうとしたようですが、その中には名誉をもとめて協力者を裏切ったり、事業の成功のために技術的な大ばくちを打ったり色々です。

それから機械のありように関して、多いに考えさせられました。アーサー・C・クラークは、この機械をつくった科学や技術が引き継がれていれば、今頃(アポロ計画の頃)人類は月どころではなく別の恒星系に旅立っているだろう、とか言ったそうですが、著者は違うものを機械に見いだしているようです。まず、この技術は引き継がれていたのではないかという事。機械式時計の発展にはミッシングリンクのようなところがありますが、それはヨーロッパ世界ではないところに流れていた技術的伝統だったのではないか、というようなことが示唆されています。この見解の多くは恐らく、この機械の研究者だったプライスの意見なのではないかと思われますが、6世紀頃の出所不明な歯車式機械という傍証らしきものもあるようです。それからモデル化する、という思想について。天体のモデルをつくることによって、ギリシャ人たちは創造主に近づいていった、というのです。科学の多くの部分は自然のモデル化であることは現代でも変わりませんが、その背景にある思想は全く違って、「私の心に深く残るのは、私たちと古代人との距離の近さではなく、遠さだ」とまで著者は書いています。

世界認識や宗教の絡みになってしまいますが、天体を観測し、理論を練って、それに基づいた模型をつくることに何を見いだすかというところは、僕などは古代人も現代人もさほど変わらないのではないかと思ってしまうのですけどね。理論系の科学と神学って、それにむけて人を動かす情動は、凡人的には結構近いものに感じます。

ついでに、本書にも登場するこの機械の研究者、マイケル・ライトによる復元モデルの解説がYoutubeにありました。ナレータはこの本の著者のジョー・マーチャントです。本を読んで仕組みがわかりにくいところは動画でかなり補えますが、あくまでライトの説、という気持ちで。