2010-09-29

その本、売りますか?

周りのいろいろな方から意見を伺うと、本を手放す人が多いことは意外でした。僕はこれまでに本を売った経験が一度しかありません。その一度で売った本とは、技術系の教科書や参考書で、内容がすぐに古くなって使えなくなるものでしたが、それらを手放すときは、決心してからもなかなか着手できなかったのです。

本を手放す一番の理由は保管の問題と思われます。ならばはじめから所有しなければよいのですが、僕はそもそも図書館から楽しみの読書目的で本を借りることは、近年になるまでほとんどしていませんでした。図書館から借りる資料は、必要なところをコピーして(著作権的に微妙です)手元におきました。もちろん目を通すだけで済ませる資料も多いのですが。

楽しむための本をちょくちょく借りるようになったのは2007年3月からです。その頃配偶者が実家に帰っていて、彼女が図書館から借りていた本を代わりに返却したことがきっかけでした。図書館から本を借りるようになっても、やっぱり本は購入派であることに変わりありませんから、借りて読み終えたにもかかわらず、気に入った本は後で購入したりします。

ハズレの本や賞味期限切れの本(という言い方は失礼ですが)も、少し時間をおくとなぜか愛おしいのですよね。こうなるとフェティシズムの領域に近づきますが、学生の時に一山いくらで買った古本も二番煎じ感が目につく自己啓発系ビジネス書も保管してあるのは、それらを見ると当時のことを思い出すためです。選んで買って読んで失敗したり憤ったりしたのも、大切にしたい記憶だという、まるで老人のような心境です。

様々な識者が書く読書指南のようなものを読むと、買う派と借りる派の言い分は両方とも納得します。でも僕の経験から言えば、買って後悔したり保管に悩んで後悔したことよりも、借りて後々に手元になくて後悔したことの方が少しだけ多いような気がするので、今のところ買いますし、売りません。読まないことはわかりきっているのですけどね。ついでに僕の趣味でモノが増えるのは本と少しのCDだけですし、配偶者の服や靴やその他に比べれば占有スペースは小さく済んでいますから、あまり文句は言われません。

祖父や父母の本も、あまり捨てられることなく眠っています(前に尋常小学校の教科書を母に捨てられたと父が嘆いていました)。吉川英治は祖父の本でした。日本の古典文学や民俗学は母の本でした。父の本はこれとあげることができないほど読んでいます。それらを僕が読むように、僕の本もひょっとしたら子どもが読むようになるかも知れないという、ほんの少しの期待もあります。ロマンティックに過ぎますがね。

2010-09-22

初夜・最善世界・禁煙脳・面接

近頃読んだ本について、コメントを。

初夜』(イアン・マキューアン)
すごく圧倒されました。ついつい長く語りたくなってしまう本書は、1960年代初頭に、お互いに童貞と処女として結婚をした二人の、結婚初夜数時間の話です。出来事はその数時間のみなのですが、心理的な描写が非常に綿密に、そしてその心理を形作る過去がゆっくりと語られていました。

彼らは若く、教育もあったが、ふたりともこれについては、つまり新婚初夜については、なんの心得もなく、彼らが生きたこの時代には、セックスの悩みについて話し合うことなど不可能だった。いつの時代でも、それは簡単なことではないけれど、彼らはジョージアン様式のホテルの二階の小さな居間で、夕食のテーブルに着いたところだった

時代の心理とでも言うのでしょうか、この年代の人たちの青春記を読むと、性の問題というのはひどく滑稽に見えます。振り返ればほぼ現代の僕だって充分滑稽なのですが、輪をかけて喜劇的です。以前読んだ、1960年頃に自殺した大学生の手記みたいなものにも性の悩みが語られていましたが、若年者の性の悩みは他人や経験を経た人からは理解しがたいところがあります(北方謙三さんに人生相談すれば、「ソープに行け」ということになるのでしょうね)。それでもその時の悩みや喜劇がその後のあれこれをがらりと変えてしまうという恐ろしい領域が、きっと性というものなのでしょう。喜劇なのだけれど、時を経て俯瞰し、その滑稽さに気づいたときにはすでに重大な変化を経てしまった悲劇になっている、そんなもどかしさや怖さを感じました。

性の話だと男女ともにどうしても語りにくいものが含まれますので、語りにくいことをグラデーションのように並べて、自分の抱える問題について検討したらどうなるか、そしてそれが時とともに語りやすくなったり語りにくくなったりしたらどうなるか。そんなことをついつい考えてしまいます。また、本書の「事件」の後は男性主人公の視点から語られていますので、女性主人公がどのように振り返ったかは分かりません。

数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ』(イーヴァル・エクランド)
数学的なところを読み飛ばしても面白い本です。原著のタイトル(直訳すると可能な限り最善の世界)が表すように、数学に限らず「最も良い世界」について論考しています。はじめは神様やイデアの領域で世界が不完全なはずはない、あるいは不完全に見えるならば、それは悪い中でも最もましなのが現実世界であるというところからはじまります。しかし近代を経て神様が退却して世界創造の主人公は物理学にバトンタッチしますが、そこで物理的にもっとも「よい」道をたどるのが現実であるという話がうまれます。言ってしまえば「最小作用の原理」ですが、これは数学的(あるいは物理的)に間違っていることが説明されます。ならば数学的な世界ではなくて生物学的な世界や経済学的世界は、目的論的にではなく結果論的に最善のものを実現するように動くのではないか、という議論が行われます。

ウィトゲンシュタインの「世界とはそうであることの全てである」という言葉を思い出しました。自然界には最適化とか作用の最小化とかの意志は入り込めません。そこで人間社会のよりよい状態を夢想しても悲観する必要はない、というのが著者の個人的結論です。近代以降の科学が方法論として確立してきた、観測事実に基づいて論証する合理主義にはまだ最善世界へいたるための余地がある、という結論には大いに感服します。もっとも著者に言わせれば、こうした理性を信頼する態度も信仰の一形態だということですが。

目次
はじめに
第一章 時を刻む
 振り子/正確な時刻/計測の道具
第二章 近代科学の誕生
 オッカムの剃刀/機械としての世界/ライプニッツの見方
第三章 最小作用の原理
 屈折の法則/フェルマー対デカルト主義者/デカルト物理学対ニュートン物理学――モーペルテュイ登場/最小作用の原理/最小作用の原理の数学的発展/目的因論的説明の終わり――科学の役割
第四章 計算から幾何へ
 運動方程式は解けるのか?/因果列/ビリヤード――円形または楕円形の場合/ビリヤード――一般凸型の場合
第五章 ポアンカレとその向こう
 ポアンカレ/方程式を解かずに解を見つけるには?/古典力学の不確定性原理
第六章 パンドラの箱
 最小作用の原理の微視的根拠/時の矢
第七章 最善者が勝つのか?
 自然淘汰/偶然の役割/ゲーム理論
第八章 自然の終焉
 構築すべき世界/最適化のアイデア/社会組織
第九章 共通善
 社会的選択の理論/個人の利益と共通善
第十章 個人的な結論

脳内ドーパミンが決め手「禁煙脳」のつくり方』(磯村毅)
禁煙しようかなと思って読みました。しかしまだ僕は煙草を喫っています。恥ずかしながら。

ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?』(ウィリアム・パウンドストーン)
再読です。本書の半分以上は論理パズルの紹介です(僕は論理パズルが好きなので、楽しく読みました)。残りのわずかな紙数で、知能を推測することの意義や可能性について論じられていた記憶があったので再読したのですが、大して面接試験を行う上での参考にはなりませんでした。

少し前に流行った「フェルミ推定」とか論理パズルとか、受ける方も採る方も、座興以外に面接で役に立つのでしょうかね。論理パズルなんて長い歴史がありますから、多くのパターンを練習すればあまり悩むことなく形式的に解ける(つまり記号化して操作することができる)ものがほとんどですし、フェルミ推定については(元の意義はともかく面接場面では)推定する力ではなくて適切なストーリーをこじつける力が問われているように思えます。それにしても面接って難しいです。

2010-09-10

イヴ・夜叉・バナナ

吉田秋生さんの『イヴの眠り』を読んだら『夜叉』が読みたくなり、さらにシン・スウ・リンつながりで『BANANA FISH』にまで遡りたくなり、結局全部読みました。ハテ、ワタクシハ何ヲシテイタノダラウ。"こんな夜更けにバナナかよ"とつぶやきたくなります。

・アッシュの顔、初期と後期で変わりすぎ。
・ちょうどこの頃、髪型の流行に大きな変化があったかも。80年代は遠くなりにけり。
・静(と凛)とアッシュは、スター・システムみたい。
・他にもスター・システムみたいな登場人物は何人もいる。とくに敵役とやられ役。
・『光の庭』を読むと毎度泣いてしまう。
・30代中盤のおじさんが少女漫画を読んで泣いている姿は、見られたくない。
・でもこれ(バナナ)、僕が最も多感な頃に連載されていたのだから、それでよいのだ。
・以前は中心人物に感情移入して読んだけど、今は端役のことを考えてしまう。
・本物の天才と一緒に能力の問われる仕事したら、やな気分だろうな。
・今井さん(夜叉:洛北大学助手、イヴ:沖縄医科大学教授)、同情します。
・作者がどんな人か知りませんが、かなりマッチョな人と想像します。
・「異性・同性のレイプ、小児性愛、児童虐待、PTSD、独占欲」とだけ言葉を並べると、すごくいやな作品に思えた。

その他、今は『数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ』(イーヴァル・エクランド)を読んでいます。よくパロディにされる電気羊のように素敵なタイトルですが、「xはyの夢を見るか」はそろそろやめた方が良さそうな気がします。まだ半分程度しか読んでいませんが、神学・哲学(といっても当時の哲学は総合科学)・物理学・数学と、非常に守備範囲が広いです。前書きによると、このあとは生物学・経済学へと進んでいくようですが、著者間口広すぎ。あと、本書は訳注も含め翻訳がとても行き届いています。こんなに丁寧なのは近頃あまり読んでいないな、と思いました。で、最善世界の夢は見るのですかね? わかりません。

2010-09-07

センスが良いってどんなだろう

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』を読みました。じっくり読むには活字の量が多く、本書を図書館から借りた僕はちゃっちゃと読んでしまったのですが、手元に置いてどこからでも読み始めて読むのをやめて、というのに良さそうな本でした。なんだか小西さんの作曲・編曲(その他)を文字から聴くような気分になります。

ピチカート・ファイヴはもとより小西さんの作品を聴くと、なんとも言い表しにくいセンスの良さを感じるのです。センスが良いというのもいろいろありますが、強いてあげれば1960年代のバート・バカラックとか、同時期のポップアートと似た感触を僕は持ちます。明るくて楽しくて、ウキウキさせられて、孤独で、かわいくてセクシーで、憂いが見えるのです。地に足がついたりしっとりと手になじんだりという感覚よりもむしろ、懸命になって何かに手を伸ばす感覚です。

それにしても、何にしても好きが昂じると始末におえませんね。レコードも食べ物も映画もファッションも。本書の内容はそんなのばっかりです。

ついでといってはなんだけれど、「(株)ワダアキコ WADA AKIKO corporation」を聴きながら読みました。和田アキ子さんの持ち味が発揮されているかどうかはともかく、とにかく小西さんの作ったアルバムなんだな、というものです。

2010-09-03

ここ1ヶ月程度で読んだ本

ずいぶん長いこと、読んだ本の感想を書き留めていませんでした。すでに記憶が風化しつつあるものもありますが(果たして読んだ本はこれだけだっけ? という疑いもあり)、とりあえず書き連ねます。

NOVA 1 ――書き下ろし日本SFコレクション』(大森望編)
日本人作家によるSF短編集。以下ちょっとだけコメントするけれど、コメントしない作品は僕にとってつまらなかった訳ではありません。
■「忘却の侵略」(小林泰三)
シュレーディンガー風味のとぼけた味わいが素敵でした。主人公の少年に幸多かれと思います。
■「エンゼルフレンチ」(藤田雅矢)
読む前に「ほしのこえ」と同じ系統かと決めつけてしまいましたので、意外でした。
■「七歩跳んだ男」(山本弘)
ミステリと言うには微妙です。と学会的に楽しいけれど。
■「ガラスの地球を救え!」(田中啓文)
目次には「SFを愛する者たちすべての魂に捧ぐ」とありましたが、マンガとアニメを愛する者たちすべてに近い。
■「自生の夢」(飛浩隆)
僕の好み偏向が入るけれども、さすがとしか言いようがありません。文章の力をひしひしと感じます。

天才と分裂病の進化論』(デイヴィッド・ホロビン)
分裂病(いまとなっては「統合失調症」)の発症率は民族・文化・地域に関係なく一定。しかもその遺伝的形質はヒトのDNAが今のようなものになった頃からあるらしい。それで、人類の進化は分裂病(の要素をもったひと)に由来するのではないか、という大胆なお話し。分裂病の生化学的な説明部分はとても説得力があるのだけれど、進化との絡みではかなり飛躍があって、分裂病と進化をリンクするのは、分裂病が不飽和脂肪酸に関する酵素の異常であることと、人類が他の霊長類と比較すると皮下脂肪も胸・尻・脳の脂肪も肥大しているということ。それから、分裂病の家系で創造性豊かな者が現れる率が高い、という程度しかありません。おおよそどんなことにもいえるのだけれど、進化の一面を取り上げて、もう一つ何か(例えばウイルスでもミトコンドリアでも二足歩行でもネオテニーでも)の一面を取り上げれば、両者の関連をお話しとして作り上げるのは比較的簡単です。でもエキサイティングな本でした。ちなみに僕のきょうだいは統合失調症です。

影響力 その効果と威力』(今井芳昭)
あまり感想がありませんでした。「影響力」の知見は、ウェーバーによる支配の類型をこえるインパクトをもったものがいまだに現れません(あくまで僕にとって、ですが)。

法人税が分かれば、会社のお金のすべてが分かる』(奥村佳史)
各章の導入部でお茶目な記述があったのが面白かったほかには、あまり感想がありません。法人税が分かれば法人税のすべてが分かる、くらいにすべきだと思います。会計や税務のプロフェッショナルは、彼らのクライアントにとってのお金を稼ぐことの厳しさを、時として甘く見ているのではないかという微かな疑いを僕はもっています。会社のお金で悩むのは、どちらかというと日々のキャッシュフローだと僕は思いますし。

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者』(釈徹宗)
こんな人がいたのですね、というくらいの感想。ハビアンのことを理解するために現代日本の宗教状況を引き合いに出すのは、むしろ理解を損ねると思いました。僕の読み方の問題かも知れませんが、現代日本を理解するためにハビアンを持ってくるほうにシフトした方が、しっくり来ます。

人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン)
すごく面白いのですが、いつまで読んでも暗い気持ちになります。ところどころで、意見の一致を見ていない(論争の種になるような)ことも一方的に書いたりしていますが、基調は「ある日突然人類が消えたら、世界はどうなるか」ということですから、とやかく言うのは野暮かも知れません。それでも生態系や環境などの複雑なシステムに関しては幾分説得力が弱く感じました。本書の最も面白いところは、人工構築物がどのように壊れていくか、というところだと思います。

ハンコロジー事始め―印章が語る世界史』(新関欽哉)
本書はゴミ捨て場から拾ったのですが、まさしく「拾いもの」でした。シュメールの印章からはじまって、有名な文明圏での印章の歴史を紹介しています。つまりは古代から近代にかけての文明間の交流を描いてもいるのです。図や写真も多く、手に取るに喜ばしい本でした。

R.O.D 1』(倉田英之)
あまり感想がありません。続編はたぶん読まないでしょう。

バッカーノ!1932―Drug & The Dominos』(成田良悟)
あまり感想がありませんが、たぶん続編も読むでしょう。ライトノベルにしては案外読みにくい部類に入るのではないかと思いました。