2008-07-30

金融商品にだまされるな!

金融商品にだまされるな!』(吉本佳生)を読みました。「超個人的クメール・ルージュ祭り」を続けていると気分が暗くなってしまうので、口直しに。知っていることも多く書かれているので、すいすいと読めました。著者は、インフレに一番強い商品は普通預金、定期預金だと指摘しています。これはあまり意外なことではなく、僕の感想(あるいは運用)と大体同じです。

最近の金融商品は多様化していて、結構難しいようですが、その中の仕組預金や元本保証型の投資型年金保険、二重通貨預金などの金融商品についての詳しい仕組みが書かれています。 もっと多くの金融商品を取り上げて欲しいというのは一冊の本に対して贅沢な望みかもしれませんが、僕はそう感じました。まあ複数の本を読めばよいのですけれどね。

本書の内容はちょっと金融機関には酷かもしれないけれど、僕は概ね納得できました。金融機関も利益を追求するのですから、商品開発や販売を熱心にするのは当然のことでしょう。それを客がどのように判断するのかは客側の判断ですから、その判断の手助けになりうる本です。

2008-07-29

ポル・ポト 死の監獄S21

ポル・ポト 死の監獄S21
ポル・ポト 死の監獄S21―クメール・ルージュと大量虐殺』(デーヴィッド チャンドラー)を読みました。ポル・ポト政権唯一の監獄である、S21と呼ばれる施設に残された大量な資料の精読や関係者へのインタビュー、先行研究などを総合して、S21で何が行われていたかを詳説した本です。

その監獄はというと、粛清(ターゲットを選び出す)された人たちを尋問し、拷問し、文書化し、報告し、殺害し、次の粛清対象を選ぶ機関です。国家に対する罪を問われた14,000人の人たちが連行され、数千人が拷問され、ほとんどの場合まったく犯していない罪を自白して、7人を除いてすべて殺害された施設です。ナチスのアウシュビッツとの類似性も指摘されているようですが、大きく異なるのは尋問し、記録する、というところです。

なぜ尋問し、記録するのか。ターゲットとして選び出された段階ですでに99.95%の人間は処刑されることになります。非常に膨大な供述書が残されている理由として考えられるのは、著者によると、

  • S21で働いていた職員たちが身の安全を図って、できる限り詳しく政権の「敵」を分類調査し、自分たちが一生懸命働いた証拠とする(職員であってもいつ囚人に変わるかわからない)。
  • 監獄の管理者たちが自分たちの愛する党への裏切りがなぜ起きたのか知りたい。
  • 囚人たちが長々と供述することによって、できるだけ処刑を先延ばしする。

また、供述書はまだ書かれていない共産党の壮大な歴史の材料を党本部に提供するために集成された、という考え方も述べられています。

どのようにして尋問するのか。罪など犯していない人たちを罪人にするには自白か証拠のねつ造くらいしか方法がありません。この自白のテクニックは中世スペインの宗教裁判や 17世紀の魔女狩り裁判、1790年代のフランス恐怖政治と似ています。精神分析と同じように、尋問する側は何を探しているかわかっている(あるいはわかっているふりをする)一方で、尋問される側は、自分が何を「隠している」かわからない。こうして拷問や洗脳的な各種圧力を加えることによって、自分がどのような罪を犯したかを自白する、という仕組みです。

初期はスターリンの大粛清や中国の文化大革命のように、政治的理由から粛正対象が選ばれたようですが、そのうち芋づる式に何が罪なのかわからないような人たちまで囚人とされたようです。党中央部から見れば「敵」は内部にも無数にいて、それらを浄化しなければ革命は継続されない、というわけです。

残虐性が問題なのではありません。20世紀に行われたほかの多くの大虐殺と同じように、合理性や機能性が問題なのです。本書でも頻繁に引用されているミシェル・フーコーの『監獄の誕生』の冒頭に、中世フランスの公開処刑の描写がありますが、そうした見せしめのための処刑(フーコー流に言うと「君主の報復」)はポル・ポト政権以前にはカンボジアで行われていたようですが、このS21ではすべては秘密裡かつ合理的に処刑が行われていたようです。

なぜこのような施設が機能していたのか。こうした問いには、僕はまだ答えられません。本書ではいくつか示唆されていますが、とりあえず本書の終わりの文章を引用します。

「よく言われるように、すべてを理解することは、すべてを許すことにほかならない。だが、それはわれわれが本当に求めているものだろうか。恐れがあるから、こうした反応になる。それは、悪人が自分たちと根本的に異ならないことを知って感じる恐れなのだ。」

S21のような現象を説明することは、互いに命令し、従い、よそ者に対してスクラムを組み、グループ内で自らを見失い、完全さと承認を欲しがり、怒りや困惑をあらわにするといったわれわれの行動を説明することである。とりわけ、自分が尊敬する人物から、他の人々、それも多くの場合無力な人々に対してそうするよう勧められたと時、どんな行動がとれるか。S21で連日繰り返された悪行の根源を探すには、われわれは自分自身を見つめなければならないのである。

2008-07-28

ポル・ポト〈革命〉史

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間』(山田寛)を読みました。クメール・ルージュを理解したいために、とりあえず読みやすそうな本を選んだのです。外堀から攻めていこうかと。

内容はなるほどそうか、という感じです。新しく知ることばかりなので真偽の判断はつかないし、著者の分析が的を得ているかどうかもわかりません。というより、著者は「クメール・ルージュ自体がよくわからないもの」としています。少なくとも亡くなった多数の方への鎮魂歌として著述したそうな。

著者はクメール・ルージュの活動期に読売新聞のサイゴン支局やバンコク支局にいたそうで、かなり著者オリジナルのリアルな記述もありますし、歴史の動いていたそのときにその場所にいた、という感覚が伝わってきます。読みやすいし。

これからの予定としては歴史家のデービッド・チャンドラーの書いたもの(邦訳)を数点、先延ばしにしているジャーナリストのフィリップ・ショートの書いたもの一点、それから映画の「キリング・フィールド」を観るつもりです。

目からウロコの東洋史

目からウロコの東洋史』(島崎晋)を読みました。最近気まぐれでクメール・ルージュに興味があるのですが、あまりにもクメール周辺の歴史的事情を知らないので、適当に選んで図書館から借りてきたのです。

結果として、クメール周辺の歴史的事情はさっぱりわかりませんでした。主に中国史やアラビア史などの大帝国を扱い、古代文明から現代までを一冊に凝縮した、エピソード的な(あるいは教科書的な)読み物だったので、知りたいことはわからず仕舞い。

ですが、案外面白かったのはなぜだろう。ちょっと「目からウロコ」でした。

2008-07-26

クメール・ルージュに興味があるが

今日は読書のすすまない日でした。ひとつには何しろ暑い。僕はクーラーが苦手なので(すぐ鼻を悪くする)、ひたすら扇風機と団扇で暑さに耐えています。日中に部屋にいるだけでシャツを絞れば滴るほどの汗。読書が進むはずもありません。

もうひとつには、今読んでいる本が厚い。『ポル・ポト―ある悪夢の歴史』(フィリップ・ショート)という本を読んでいるのですが、686ページもあり、注やその他が207ページ。6,800円もします。図書館から借りたのだけど、期限までに読み終えるだろうか。

本が厚いだけではなく、内容も厚い。その上僕がその背景に無知ときたら、読書スピードもがくんと落ちます。知らない単語が出るたびにWebで調べたり、カンボジアやベトナムの地名が出てもピンとこないので地図を調べたり。そして何より、大雑把にでも現代アジア史を知らないことが痛い。

序文を読むだけでカンボジアの悲劇が複雑な背景から生じたことが書かれているのに、僕はその複雑さをまったくわかっていないのです。ベトナムと中国とタイと日本とフランスが絡んで、第2次世界大戦前後からこっち、その地域でどのように政治体制(殖民体制かも)が変わったのかさえ知らないうえに、クメール人やベトナム人、シャム人などの文化や風習も知らない。その地域での思想史などもってのほか。まったく僕の知っている歴史は日本史・中国史・西欧史に偏っていたのだなと。

で、なかなか読み進めないのですが、読み進むとやっぱり複雑で、理解するのに時間がかかる。知らないことは認識スキーマをつくるのに時間がかかるというけれど、僕ははじめて自転車に乗った子どものように読み進んでいます。

はて、クメール・ルージュについてきちんとした知識・理解を持った人は世界にどれくらいいるのだろうと、疑問を覚えてしまいました。何しろよくわからないので。

2008-07-25

おとうふさんと こんにゃくさん

おとうふさんと こんにゃくさん (あかちゃんのむかしむかし)』(松谷みよ子・ぶん にしまきかやこ・え)という絵本を読みました。1991年の作品です。配偶者と一緒になって、そのナンセンスさとシュールさに笑いました。

まずおとうふさんが全身打撲で入院する、というところから話が始まります。こんにゃくさんがお見舞いに行こうとして、途中だいこんさんとごぼうさんのところにより、結局ひとりでお見舞いに行くのですが、なんの解決も救いもなく、ちょっと黒い終わり方です。そこが面白いのですが、こういうナンセンスさは小さい子どもにどうだろう、と思ったわけです。

それとは多分関係ないのですが、長新太さんの絵に、「トーフのそばにやって来るコンニャク」というのがあることを発見。1987年の作品です。中央に白い豆腐。その右側に、尺取虫のように体を曲げたこんにゃく、という絵です。ひょっとしてインスパイアされたかな、とか思ったり思わなかったり。

2008-07-24

怪しい科学の見抜きかた

怪しい科学の見抜きかた―嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説』(ロバート アーリック)を読みました。先日感想を書いた『トンデモ仮説の世界』と似たコンセプトの本です。

コンセプトは同じだけれど、こちらのほうが仮説の数を絞って、より作法に則って検証しています。ちなみに検証した仮説と著者による検証結果は、

  • 同性愛はおおむね生得的なものである:インチキ度0
  • インテリジェント・デザイン説は進化論の妥当な代案である:インチキ度3
  • 人々は賢く(愚かに)なっている:インチキ度1(2)
  • 念力で外部の物体に影響を与えることができる:インチキ度4
  • 地球温暖化を(それほど極端に)心配する必要はない:インチキ度1
  • 複雑な生命体は宇宙では非常にまれである。:インチキ度2
  • 偽薬であなたを治療する(あるいは病気にする)ことができる:インチキ度0
  • 高コレステロールは心配するに値しない:インチキ度2

でした。4段階評価で、インチキ度は0だとかなり信頼すべき説であり、インチキ度4だと信頼すべき証拠がないことを意味しています。

この本は公平そうな立場で、できるだけ中立的かつ論理的に、それぞれの説を詳しく検証しています。上記のインチキ度はその結果として著者がランク付けたものですので、それを鵜呑みにする必要はありませんが、あくまで参考として。

それにしても、科学の世界でもカール・ポパーのいう「反証可能性」を無視して主張する人たちがいるものだ、と一部の説で思いました。僕がかつて足を突っ込んでいた分野では「これは芸術か科学か」という微妙な論文や著作を多く目にしました。本書を読んで、科学も人間の営みなのだな、というなんだか良くわからない納得の仕方をしてしまいました。

2008-07-23

蝶のゆくえ

蝶のゆくえ』(橋本治)を、人から教えてもらって読みました。家族や世代といったようなことを、基本的に女性視点から描いた短編集です。

感想は一言で、「怖い」です。こんなに人間の弱さや醜さを淡々と書き綴るのには、もっと虚構性があったほうが書き進めやすいだろうに、非常に日常的あるいは現実的で、なおかつフィクションで書いてしまう、という著者が怖いのです。もっと単純にストーリ自体が怖い作品もありますが(僕は「ふらんだーすの犬」が怖かった)、短編小説集として読んだときにはとても平凡に見えるシチュエーションの作品が怖かったです。

ところで、基本的に女性視点で書かれているけれども、橋本治さんなら納得、という不思議な感覚があります。だって桃尻娘だし、趣味は編み物だし。

2008-07-22

第1感

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(マルコム・グラッドウェル)を読みました。原題は"Blink: The Power of Thinking Without Thinking"ですので、邦題はちょっと行き過ぎなのではないかと。なんとも感想の書きにくい本です。

面白いことは面白いのです。例えば美術品の真贋を見極めるためにいろいろな科学的調査をしたのとキュレータが一瞬で判断したのでは、キュレータのほうが正しい判断をしたとか、短い夫婦の会話からその後の夫婦が離婚するかどうかを判断するとか、軍事的戦略を豊富な情報から分析的な意思決定をしたのと経験豊富な指揮官が即時に判断したのではどちらが優勢だったかとか、例が豊富です。

おそらく認知心理学や行動経済学に属するのでしょうが、そうした実験の概要が紹介されているので、それを読むだけで楽しいのですが、だからといって「最初の2秒のなんとなくが正しい」というわけでもないことは本書にも書かれています。いったいどうしろというのでしょうか。専門的知識を身につけた人の適応性無意識はおおむね正しく、素人の適応性無意識は判断前の情報に大きく左右される、といったところだと思うのですが、なんとも歯切れが悪いです。

しかし面白い。何が本書の欠点かというと、「考えずに判断することを考察する」というそもそものテーマが揺らいでいるというか、筆者の論理的展開が不明瞭なところでしょう。それぞれのエピソードは楽しいけれども、それを纏め上げるとなんだか良くわからない、という感じです。

同じ著者の『ティッピング・ポイント』を以前読んで、似たような感想を持ちました。ひょっとしたら著者の韜晦趣味なのかもしれません。ともあれ、心理学的な実験の紹介を読んでいるだけで楽しくなれる本でした。

2008-07-21

麻薬書簡 再現版

麻薬書簡 再現版』(ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ)を読みました。いまさら、という感じもしますが、40~50年前の流行を追認できるという意味では面白い本です。

人によっては汚い言葉やドラッグ、セックス(著者は二人ともゲイですが)にうんざりするかもしれません。しかしバロウズがトリップしたときの描写は実に生き生きとして、パワーに満ちています。ギンズバーグのほうはというと、さすがに古いせいか、ドラッグ、セックス、東洋宗教などへの関心という流行が過ぎてしまい、切り貼りするような文体が斬新に感じられなくなれば、それらが陳腐にさえ思えました。

2008-07-20

トンデモ仮説の世界

トンデモ仮説の世界―まだ9割の人がだまされている』(竹内薫)を読みました。

99・9%は仮説』の著者(ちなみに猫好き)らしく、ほとんど真っ黒なトンデモ仮説もかなり白い仮説も取り扱って、ばかばかしい説でも半ばまじめに検討しています。そもそも現在「真理」とされているものも仮説から始まっていて、現在も何らかの新しい観測結果や測定機器が生まれればそれらの「真理」も覆る以上、好感の持てる内容です。

どのようなものを扱っているかというと、例えばインテリジェンス・デザイン説とか、ダークマター説とか、水棲人類進化説とか、血液型性格決定説とか、玉石混交です。とはいえ著者は物理、中でも宇宙論を得意としているようですので、物理以外の分野では踏み込みも甘く、切れも悪い感じを受けました。

とはいえ、いろいろな説を疑ってみる、という面白い内容だし、著者と助手の対話形式というとても読みやすい書き方なので、軽くおすすめです。ただしインテリジェンス・デザイン説に好意的なのがどうも気に入りません。空飛ぶスパゲティ・モンスター教にもページが割かれていたりすればもっと満足できたのに。ラーメン。

2008-07-19

地球温暖化は止まらない

地球温暖化は止まらない』(デニス・T・エイヴァリー, S・フレッド・ シンガー)を読みました。1500年周期での環境変動によって現在の地球温暖化が説明でき、人為的な温暖化への影響は微々たるものである、という本書の主張は昨今話題のCO2などの温室効果ガス削減の取り組みと真っ向から対立しています。

アル・ゴアの『不都合な真実 (An Inconvenient Truth)』をみて、なるほどパフォーマンスは優れているけれども、その科学的裏づけはどうなっているのだろう、と感想を持った僕は、地球温暖化対策としての温室効果ガス抑制に対してはなんとなく胡散臭いものを感じていました。

というのも、中学生のときに南極のオゾンホールとフロンガスの関連を信じて、その後にどちらも良くわかっていないということがわかった時に、ひどく失望したからです。当事の僕はなんとなく義憤に駆られて周囲の人を説いて回ったのですが、それは結果として、僕の無能力さと未熟さを露呈するにいたったのを、今は恥じています。

それ以来、複雑な現象は複雑にしか語れないということを肝に銘じてきました。本書が正しいのか(本書の主張はかなり正確な査読文献から構成されていますが、それでもやはり疑問も残ります)、それとも現在世間を圧倒している温室効果ガス説が正しいのか、現時点では僕の能力的にも判断がつきません。とりあえず環境保護運動のドグマに盲目的に従うのは危険であるということだけを考え、複数の意見から自分の意見を構成するのみです。

それにしても、世界史を気温から辿る視点は目から鱗が落ちました。ローマ温暖期(B.C.200~A.D.600)と中世温暖期(A.D.900~A.D.1300)、現在の温暖期(A.D.1850~)に挟まれた時代には、飢饉や伝染病の蔓延などが確かに歴史資料として残されているな、と。

2008-07-18

闇の子供たち

闇の子供たち』(梁 石日)を読みました。

タイの幼児売買、幼児売春、臓器売買などを描いた小説です。物語序盤の、売買されてきた子供を性的玩具に「調教」するあまりにも残酷な場面から、読む気が失せましたが、我慢して読んでいくと人権団体やら新聞社やらと、警察、軍、マフィアなどとの対立構造が描かれるようになって読み進むことができました。

あくまでもフィクションである、と思いながら読み進めましたが、胸がふさがれる思いです。火のないところに煙は立たぬと思うとなおさら。僕自身タイには1度しか行ったことがありませんが、その社会(タイに限った話ではありませんが)の裏側にどのような世界があるのか、決して事実に基づいた小説ではないにしても想像させられます。

重い本でした。映画化されるようですが、どこまで映像表現するのやら。

2008-07-17

小説の感想3冊分

・『空飛ぶ馬』(北村薫)
「人の死なない本格ミステリ」です。それだけでも僕の好みにフィットするのですが、それだけでなく登場人物たちの眼差しの優しさ、ヒロインの魅力(文学少女で落語好き)、知と情のバランス、作品中に登場する風景や季節の鮮やかさ、とても清々しく読めました。

ただ、文学と落語の世界にある程度通じていないと、それらの描写が単なる装飾になってしまわないかというほど、悪く言えばペダンティックに書かれています。僕は教養の深い人間ではありませんが、結構知らない作家や噺が出てきて、その度にメモメモ。読み流しても面白いとは思うのですが、味わいたいと思ったら結構真剣に取り組んだほうが良いかな、と思います。

・『私が語りはじめた彼は』(三浦しをん)
確かにうまい小説だと思いました。しかし僕の読みたい小説ではないと感じます。男女の感情の機微や愛憎などを実にきめ細かく描いています。しかしそこに描かれる半ばどす黒い心理は、僕には無縁とは言わないまでも、少なくとも僕が知りたいことではありませんし、味わいたいものでもありません。

こう書くと、なんと一方的な読者だろうと我ながら思いますが、仮にそれが世の中の真理だとしても、知らないほうが幸せなことはあるだろうと思うのです。そしてこの小説に描かれる世の中の真理はまさにそれに属するものではないかと。

と、この作品を好きな人にしてみればひどいことを言っているようですが、小説自体に不満はまったくありません。どのページを開いても素敵な文章が踊っています。ただし読後感が僕にとっては不愉快だっただけです。

僕には何か後ろめたいことでもあるのかな。

・『煌夜祭』(多崎礼)
ありがちな舞台設定(十八諸島という閉じた世界)と、ありがちな世界観(剣と機械と魔物の世界)ですが、「語り部」という存在を巧みに使って物悲しい物語を展開させていきます。

ライトノベルとかそういう枠に関係なく、純粋に素敵なエンタテイメント作品でした。

お金の脳トレ

お金の脳トレ―たった4つのステップで、あなたも億万長者になれる!』(泉正人)を図書館で借りて読みました。いわゆる成功哲学のような本ですが、文字数の少ない本です。

要約すると、

  1. お金を貯めなさい
  2. 投資するための知識を得なさい
  3. 投資を実践しなさい

だけになりそうです。言われなくともそれくらいのことは誰でも聞いたことはあるでしょう。

良い点もあります。簡単な言葉でステップを踏んで書いてあること、文字数が極端に少ないこと、そして書かれていることは決して的外れではなく王道だと思われること。しかしそれを実践に移そうとしたときには絶対に具体例が必要です。そうした具体例がかかれていなくて抽象的に話をされても、内容はいっこうに伝わりません。本書は約1,500円ですが、よっぽどの未熟者でなければ1,500円の価値は絶対にないでしょう。断言しますが、この本を読んでも億万長者にはなれません(現時点での僕の資産は1億円もありませんが)。

Amazonでの評価は高いようですね。常々思っていますが、この手の本は書いて売った人の勝ちです。世の中には投資で破産をしたひともたくさんいますが、その死屍累々とした上に成り立っているかも知れないということも忘れたくありません。

2008-07-15

小説の感想5冊分

最近読んだ小説の感想を。

・『夜のピクニック』(恩田陸)
遅まきながら読んだので僕が紹介するまでもないことでしょうが、朝の8時から明朝8時まで歩く(走る)「歩行祭」を舞台にした青春物語です。こういう作品を読むと、恩田さんは上手な小説家だな、と思わされます。はずれなし、って感じですね(上から目線)。

僕の出身校でも似たような行事がありました。40キロを8時間以内というように、距離と時間は大幅に短いけれど、やっぱりこの作品に出てくる身体的・精神的な感覚は作品の描写と似た感じで、その頃のことを否応なく思い出させられます。高校生なりの成熟ぶりや未熟ぶり、繊細さと鈍感さなど、読んでいて恥ずかしくなるくらいに身につまされました。もっとも舞台装置が似ているというだけで、男子校だったので甘酸っぱいドラマは(たぶん)展開されなかったけれど。

高校生らしい付き合いを上手に描いているなと感心したところを引用します。

普段は、二人の会話は雰囲気だけで進んでいく。言葉の断片だけがやりとりされ、二人が描いている絵は周囲の人間には見えない。

そこに林檎があるとわざわざ口にしなくても、林檎の影や匂いについてちらっと言及さえしていれば、林檎の存在についての充分な共感や充足感を得られるのだ。むしろ、林檎があることを口にするなんて、わざとらしいし嫌らしい。そこに明らかに存在する林檎を無視するふりをすることで、彼らは一層共感を深めることができる。そのことを、二人は誇りにすら思っていたのだ。


・『後宮小説』(酒見賢一)
僕が紹介するところなどありませんが、中国のような架空の世界のファンタジーです。いけしゃあしゃあと歴史小説のような書き方をしていますが、みんなでっち上げ。史実に基づいていませんし、1600年ごろの中国の風俗など明らかに無視していますし、漢文調で引用される文献も「民明書房」のようなものです。

ですがそのからりとした破天荒ぶりに笑わされます。暇だったから反乱を起こすとか、偶然勝ち進んでしまう「混沌の役」とか、興味本位で後宮に入る主人公とか、「たると」とか、単純に面白おかしいです。欲を言えば、僕としては「角先生」の講義をもっと詳しく描いてくれるともっと面白かっただろうな。

・『家守綺譚』(梨木香歩)
とても綺麗な小説です。時代は明治中頃、家を預かった家守(いえもり)と万物の精霊、八百万の神々、太古の昔から親しまれてきた人ならぬものたちとのふれあいが、まるで昭和初期のような筆致で描かれます。といっても単純にファンタジーであるとか、魑魅魍魎の話だとかではなく、身の回りにあふれる自然との優しい対話のような話です。

読みながら美しい言葉と美しい登場人物たちとに惹かれました。僕はせっかちな読者なので大抵の本は速く読んでしまうのですが、この本はゆっくりと読むのにふさわしいと感じました。

この物語の考え方を最もあらわしているな、と思ったところを引用します。

最近筆が進まなかった。執筆にはペンとインキを用いているのに、筆が進まないとは。しかしペンが進まないと云うより、筆が進まないと云うほうが、精神の在り方に即しているような気がする。思うにこれは、千年以上慣れ親しんだ筆硯から、ペンとインキへ移行するのに、我々の魂が未だ旅の途上にあるためではあるまいか。

文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶をみて安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶をみて不安になったとき、漸く私の精神も時代の進歩と齟齬を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。


わかつきめぐみさんの比較的新めの漫画を思い出しました。どことなく似ている。

・『上弦の月を喰べる獅子〈上〉』『上弦の月を喰べる獅子〈下〉』(夢枕獏)
なんとも感想の書きにくい幻想小説です。螺旋収集家と宮沢賢治、そして仏教的宇宙観を描いている小説である、としか言いようがありません。

そもそも僕は仏教徒のつもりでいて、それなりにその世界のことには通暁しているつもりでいるのですが、それでもなお宇宙観といった獏としたものに関しては殊更言葉を費やせないでいます。それがストレートに、きっちりとした構造を持って、豊富な比喩を持って描ける小説に出会えることは幸せなことともいえますし、不幸せであるともいえます。

2008-07-09

妙なる技の乙女たち

妙なる技の乙女たち』(小川一水)を読みました。舞台は軌道エレベータの設置された赤道上のリンガ島。宇宙産業の発達した近未来を描く短編が7話収録されています。

SFの王道から行けば、研究者や冒険者やそれに巻き込まれてしまった人など、世界のエッジを切っている人が主人公になるところですが、本書ではあくまでもバックエンドで手に職を持つ(というか普通に働いている)女性を主人公にしています。働く女性のSF物語というとステレオタイプが頭に浮かんでしまいますが、文字通り「地に足の着いた」職業人たちが描かれていて、とても楽しく読めました。

ただ、タイトルに不満ありです。あまり「技」を前面に出さないほうが良かったのではないか、という感想を持ちました。もちろん工業デザイナーも彫刻家も艇長も「技」に長けた技術者ですが、この作品で僕が一番気に入ったのは、多様な民族的な背景を持った人たち(基本的には主人公は日本人ですが)の描きっぷりと、宇宙時代にも変わらずに持つであろう人間の文化的側面だったからです。

いずれにせよ、人におすすめしたくなる本でした。

2008-07-06

軽い考古学

考古学千夜一夜』(佐原真)を読みました。

出版が古いから最新の考古学や人類学の知見(かなり日進月歩の世界ですよね)は反映されず、当時の学説や定説を紹介するのは仕方がありません。それでも考古学の専門家が、軽いタッチでエッセイを綴る、というのは読んでいて気持ちの良いものです。どんな分野にせよ、碩学がわかりやすく語る文章はいいものですね。

著者がいかに軽く語っているかを如実にあらわす文章を、以下に引用します。

道具や持ち物がどんどんふえ、ついに動けなくなった。これこそ人類が定住の暮らしを始めた動機なのである。もっとも、私の名前は真なので、私のかかげる説は、つねに真説である。


この本を読んで、今までまったく気にかけていなかったことを知りました。というのは、日本語で「石器」と呼んでいるものに当たる英語は"stone weapons and tools"ということが多いということです。「石器」と一言でいっても、道具と武器のニュアンスが含まれているのだな、と、こういうちょっとした新鮮な発見があるのは、読んでよかったなと思えるところです。

2008-07-05

近頃読んだ本の感想をまとめて

以下、すべて再読です。

・『日本人の祖先』(山口敏)
日本人のルーツを探る自然人類学の教科書みたいな本ですが、この分野は遺跡の発掘で大きく説が変わるから、1986年に出版された本書など、非常に古い内容になってしまっています。

自然人類学のなかでも骨学を中心として、だいたい3万年位前から現代にかけての慎重な書きっぷりには著者の真摯な取り組みが見受けられます。それ以前のことになるとどうも……。

・『影をなくした男』(シャミッソー)
一人の青年が自分の影と「幸運の金袋」とを取引する。青年は影をなくした代わりに無尽蔵の大金を手にするけれども、影のないことによって人々から冷たい目を向けられる。というようなお話です。

1814年初刊の本なのですが、このころのヨーロッパ人、とりわけロマン派の人たちは、メルヘンタッチで少し黒く、そして優しい話を書くのが上手だな、とつくづく思いました。挿絵も不思議・不気味・悲しい・ちょっと優しい感じが出ていて、とっても素敵です。

・『ルナティックス - 月を遊学する』(松岡正剛)
1993年発行の単行本は装丁も素敵だけれど、amazonに書影がなかったので文庫版へのリンク。月の持つ儚さ、脆さ、弱さ、強さ、したたかさ、怪しさ、つまり一言でいえば著者言うところの「フラジャリティ」を余すところなく(まだまだだと著者は言うけれども)自由奔放に描いた本です。

著者一流の博識をもって、古今東西の思想、科学、神話、文芸、絵画、詩歌、音楽、舞踏などでの月の扱われ方から、「フラジャリティ」をあぶりだすような記述は、どこから切り込んでもとらえどころもなく、どう考えても論理的でなく、まさに遊びながら月を愛でている感触がしました。優雅な本で、太陽よりも月を愛する人には絶対お勧めです。

ただ、書かれている内容は著者の韜晦趣味というか、タルホ・イナガキあるいはロジェ・カイヨワ流の遊び精神というか、縦横無尽・自由奔放に疾走する感じなので、それがいいとも悪いとも。

本3冊の感想

某所であげられている中から、気になる作品を3冊読みました(うち1冊は再読)。

邪馬台国はどこですか?』(鯨統一郎)
登場人物は4人だけなのに、ヒロイン役の登場人物が無用に貶められているような気がしてなりませんでした。才媛のはずが、無知だったり、仮説に対して謙虚ではなかったり、思い込みが激しかったり。女性キャラクターに魅力が足りないのが残念です。あと「教授」の影が薄く、登場させるまでもないのではないか、という気がしました。

話自体は歴史ミステリで、いささか設定に無理がありすぎるきらいもありますが(それに詭弁が過ぎるのではないか、とも思いました)、軽く楽しめました。

正しく生きるとはどういうことか』(池田清彦)
基本的には、「環境を有限とした修正リバタリアニズム」というような立場から、善く生きるとはどういうことか、正しく生きるとはどういうことか、という二つの問題を考察する内容でした。このような著作は著者が何を言っているかというよりはどのような考察プロセスを辿ったのかに僕は興味がありますので(つまりどのような立場にあるかによって解が異なる問題には興味がありませんし、自分なりの解は持っているつもりです)、楽しんで読みました。

それでは正しく生きるとはどういうことなのでしょう。著者の結論を簡単にまとめてしまうと、自分の規律を構成した上で適度に欲望を開放し、そのうえで他者の欲望の解放と調整をする、というようなことです。その他の問題に対しても著者は明快な実践解を提示しているので、読み込めば自分の思索を深めることにもなるとは思いますが、この手の議論になれない人が鵜呑みにしてしまうと、それはそれで問題のありそうな著作だと思いました。というのも、リバタリアニズムとは別の立場からの試論をあまり比較検討していないので、あくまでもリバタリアニズム入門として読むと良いと思うのです。

鳥類学者のファンタジア』(奥泉光)
この本は既読ですが、読んだのがずいぶん前なのでまた読みたいな、と思って読みました。
・音楽、特にジャズが好き
・突飛なファンタジー的展開についていける
・自虐ギャグが好き
・小ネタを見つけるのが好き
・猫が好き
上記が当てはまるひとにはうってつけの作品だと思います。僕は当てはまるので、再読したわけですが。

2008-07-04

再読して感想変わる

長期休暇をとっているのですが、本を読む時間がなんとたくさん取れることか。やっぱり本を読む秘訣は仕事をしないことですね。で、有り余る時間を過去に読んだ本の再読とかをして過ごしているのですが、今日は『BRAIN VALLEY〈上〉』『BRAIN VALLEY〈下〉』(瀬名秀明)を読了しました。

読み終えて、なんだか初回読書時とは感想が異なりました。真骨頂は脳科学、臨死体験、UFOなどの薀蓄で、ストーリー自体はたいしたことない(なんていうと失礼かもしれませんが、そう感じてしまったのはしょうがない)、という感想は同じなのですが、今回読み終えると、薀蓄部分が「ほらよ」って感じで投げ出されているようでした。つまり読者に対して媚びるところがない、というか不親切というか。

もうひとつは神学に関するところがそのほかの部分に比べてあまりにもお粗末なのではないかなどと不遜にも感じてしまったのです。もっとも神様の薀蓄をやられたら、ただでさえ長い話がもっと長くなってしまいますし、SFだから、という逃げもあります。

そんなところに違和感を感じて、たぶんこの本を再読することはもうないだろうと思いました。