2009-01-29

『格差が遺伝する!』

格差が遺伝する!(宝島社新書)』(三浦展)を読みました。同じ筆者の『下流社会』は大いに売れた本ですが、その本を友人から借りて読んだところとても失望したので、本書ではそれを裏切るような記述を期待していました。

期待は外れました。

単なるアンケート調査の報告書みたいなもので、取り立てて素敵な分析があるわけではありません。それに筆者は「消費社会研究家、マーケティングアナリスト」という肩書きがあるようですが、僕には社会調査の基本的な修練を積んでいないように思えます。

アンケート調査の報告書に必要なのは、そのアンケートの母集団をどのように選定したのか、アンケート項目はどのように作成したのか、回収方法は、回答率は、など色々な要素がありますが、それらはまったく書かれていません。マクロミルのインターネット調査を使ったようですが、そもそもインターネット調査自体が、一般的な社会状況を反映する調査方法ではありませんし(これは知り合いの日経リサーチの社員さんもいっていました)、対象とした集団も「夫・子ども(小学校2~6年生の男女)と同居している28~47歳の既婚女性」ですし、対象地域は東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県です。これだけでいかに偏っているかはわかりますし、その調査が社会的格差を再生産する論拠となるかについては綿密な考証が必要です。

それに本書では回答者のパーセンテージはグラフ化されているのですが、各項目の回答者数は明らかにされていません。すべて2次元グラフにされてしまっているので、そのグラフは単に調査実施者の都合のよいように集計した可能性も捨てきれません。

以前『下流社会』を貸してくれた友人は筆者と出身校が同じなのですが、そのことをとても恥じていました。僕も同感です。既に教育社会学などの分野で類似の調査(SSM調査研究など)が経年的かつ大規模に行われていますが、それに付け加えるような知見は見られませんでしたし、理論的にもピエール・ブルデューの「文化資本」に代表されるようなものと比べると精緻さに欠けます。

新書とはいえ、残念本でした。

『頭がいい人、悪い人の<口ぐせ>』

頭がいい人、悪い人の<口ぐせ> (PHP新書)』(樋口裕一)をなんとなく読みました。

言葉遣いに気をつけようとは思いましたが、あまり楽しい本ではありませんでした。どうも筆者は頭の良さを説明能力に置きたがるようで、それ以外の頭の良さをあまり重視していないように思えてなりません。確かに本書に挙げられているような<口ぐせ>は頭が良さそうに(あるいは悪そうに)聞こえたりしますが(本当に良かったり悪かったりするのかも)、それ以外の頭の良さもあるだろうと思ってしまうのです。

例えば空間把握能力。他人に説明できなくともぱっと見て三次元的にイメージできる能力ははっきりと頭の良さとして認められるとは思いますが、そうした能力は言語活動とはあまり関係ありません。筆者の述べている頭の良さは、他人とコミュニケーションがうまくとれるという頭の良さでしかないのではないかな、と。

もちろん他人とコミュニケーションを円滑にとれることは現代人にとってとっても有用な能力でしょうけれども、僕の知っている非常に優秀なエンジニアは他人とうまくコミュニケーションがとれません。そうした色々な特性も考慮した上で頭の良さを判断しないことには、それこそ頭の悪い人になってしまいます。

2009-01-28

『社長になっていい人、ダメな人』

社長になっていい人、ダメな人』(丸山学)を読みました。筆者は会社設立を専門にしている行政書士さんだそうで。

この手の本は目次を読むだけで内容がわかるようにはなっているのですよね。内容には不満もなく満足もなく、ふんふん、なるほどと思うだけでした。多かれ少なかれどのような人にも欠点はありますし、欠点だらけでも社長としてうまくやっていく人もいます。ダメだと言われたって、僕はすでに「なんちゃって社長」ですし。

目次

第1章 社長になる前から選別は始まっている!?
 ◆起業前の言動に注意を払わない人
 ◆妙にポジティブシンキングな人
 ◆会社形態にも2種類あることを知らない人
 ◆資金調達の知識がない人(融資編)
 ◆自ら競争の渦中に飛び込んでいく人
 ◆一つの取引先に依存する人
第2章 こんな社長では利益は出ない!
 ◆「会社=投資物件」であるということを理解できていない人
 ◆ニーズが高い商品なら売れると思っている人
 ◆ベストセラー書籍に影響されすぎる人
 ◆他人のせいにする人
 ◆目先の売上しか考えられない人
 ◆商売に対して生真面目すぎる人
第3章 こんな社長が会社に危機を招く
 ◆契約書を作らない人、ろくに読まない人
 ◆人を信じすぎる人
 ◆財務が分かっているようで分かっていない人
 ◆自分の基準(経験)でしか物事を考えられない人
 ◆よい人材を採用できない人、育てられない人
第4章 事業を拡大できない社長
 ◆資金調達の知識がない人(出資編)
 ◆自分が目立ちたくて仕方ない人
 ◆儲かることに抵抗感がある人
 ◆未来への投資ができていない人
第5章 やっぱり社長になってはいけない人
 すぐに見栄を張ってしまう人
 1人勝ちが大好きな人
 上場が最終目的の人
 想像力のない人


目次を引用するだけでわかりますね。この本を読んで襟を正そうなどとは僕は思いません。まあ、これから独立起業する人の心構えみたいなものでしょうか。

2009-01-27

『すべてがうまくいく8割行動術』

すべてがうまくいく8割行動術 [ソフトバンク新書]』(米山公啓)を読みました。

要するにドーパミンとセロトニンの関係を良好に保ちましょうね、ということだと要約できそうです。昔から「腹八分目」といいますし。扇情的なタイトルだし記述もかなり読者をあおっていますが、異論は多々あることだと思います。

これは僕の実感ですが、経営的な視点から見たら不合理かも知れませんが、特別優秀なエンジニアは10割を求めることにこだわっていましたし、そのために費やす時間もそれなりにはありました。しかしエンジニア本人の満足度は最後の1割にかかっていたりするのですよね。モティベーションという視点から見たら果たして「それなりな」行動で満足できるものでしょうか。疑問です。

『世界一利益に直結する「ウラ」経営学』

世界一利益に直結する「ウラ」経営学』(日垣隆 岡本吏郎)を読みました。

僕が褒めるべき点は残念なことにあまりないです。筆者たちにとっては有意義な対談だったのかも知れませんが、読者である僕にとっては一体何の話をしているのやら、という感じで。インターネットで小売業をはじめようとか、一旗揚げてやろうとか、ソロで活動したいとか、そういう野望を抱いている人にはよいのかも知れませんが、僕にはそうした大げさな野望がないので。

ただ「人は変わりたくないものだ」という意見には大いに同意しました。僕も大胆に変わりたくありませんし、それでは会社の業績が飛躍的に伸びることはありませんから。

『組織戦略の考え方』

組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために (ちくま新書)』(沼上幹)を読みました。

目次

第1部 組織の基本
 第1章 組織設計の基本は官僚制
 第2章 ボトルネックへの注目
 第3章 組織デザインは万能薬ではない
 第4章 欲求階層説の誤用
第2部 組織の疲労
 第5章 組織の中のフリーライダー
 第6章 決断不足
 第7章 トラの権力、キツネの権力
 第8章 奇妙な権力の生まれる瞬間
第3部 組織の腐り方
 第9章 組織腐敗のメカニズム
 第10章 組織腐敗の診断と処方

評論家然として「組織とは何か」というようなものを滔々と語るのではなく、経営学者である筆者が仮に経営者だとしたら、という仮定をもうけて、それではどうしたらよいかという視点から書かれていますので、組織経営をしている人間からすれば身につまされることは多いです。

『仮説力を鍛える』

仮説力を鍛える (ソフトバンク新書)』(八幡紕芦史)を読みました。

ザ・ゴール』以降盛んに目にするようになった形式の、小説仕立てにしたプロジェクト立案のお話です。こんなにうまくいくわけないだろう、と思いながら読みましたし、当然だろうと思うことも多々あり、取り立てて斬新な視点を得ることは出来ませんでした。まあ軽い読み物として。

『経済学的思考のセンス』

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)』(大竹文雄 中公新書)を読みました。

目次

I イイ男は結婚しているのか?
II 賞金とプロゴルファーのやる気
III 年金未納は若者の逆襲である
IV 所得格差と再分配
エピローグ 所得が不平等なのは不幸なのか


「お金がない人を助けるにはどうしたらよいか」という素朴な疑問から入っていく経済学の話には引き込まれました。基本的にはインセンティブと意志決定の因果関係がメインで、それに付随して経済政策の話が展開されています。意志決定のところは格別に面白かったです。

2009-01-18

『細菌と人類』

細菌と人類―終わりなき攻防の歴史』(ウィリー・ハンセン、ジャン・フレネ)を読みました。取り立てて読みどころがあるわけでもないし、ドラマティックなわけでもないのですが、なぜか一気に読ませられる魅力を持っています。

本書で取り上げられている伝染病は以下の通りです。

・ペスト ・コレラ ・腸チフス、その他のサルモネラ症 ・細菌性赤痢 ・発疹チフス ・淋病 ・脳脊髄膜炎 ・ジフテリア ・百日咳 ・ブルセラ症(マルタ熱) ・結核 ・梅毒 ・破傷風 ・ボツリヌス症 ・炭疽病 ・ハンセン病

それぞれには医学者たちの真摯な取り組みやら、伝統的価値観からの罹患者の阻害、罹患者たちの治療への渇望、治世者たちの予防の望みなどが入り乱れているのでしょうが、通読して思うのは人間の交流が広く行われるにつれて必然的に世界的に感染症が広がること、特に戦争による人間の移動と、それにともなう環境の変化、貧困による不充分な衛生環境と飢餓により大流行していたのだな、という感慨です。

そもそも細菌への取り組みが活性化したのは、近代医学の進歩もさることながら、大規模な通商や人間の移動を経て様々な風土病が全世界化したことにも起因しているのでしょう。その証拠となるかどうかはわかりませんが、多くの伝染病は記録に残されている限りではかなり古いのにもかかわらず、有効な予防法や治療法が模索されるようになったのはせいぜい数百年のこと。いくら微視的な観察術や病理学の進展が必要といえども、この時間差は解せません。

現時点で考えれば、ボーダレスで物資やら人間やらが流動しているような錯覚を覚えますが、やはり発病の地域差を見れば一目瞭然で、富める地域と貧しい地域では明らかに死亡率や発病率が違います。やるせないです。

2009-01-17

『ビジネスに「戦略」なんていらない』

ビジネスに「戦略」なんていらない (新書y)』(平川克美)を読みました。とても充実した、ビジネスについて真摯に考えさせられる本でした。ベストセラーにはなりにくい本でしょうけれども、ベストセラーになっているビジネス本よりもはるかに読み応えがあります。

簡単に要約できないし、感想を書きにくい本ですが、いわゆるビジネス本とは一線を画しています。ハウツーものではないし、いわゆる銀の矢は少しも顔を出しません。より思弁的に、抽象的に、著者の体験からビジネスについて考えたところがあらわされている本です。

僕は読んでよかったと思いました。ただし「戦略なんていらない」とは思いません。戦略不要ということではないと著者も書いていますが、僕はもっと違う意味で戦略が必要だと考えています。つまり競争相手を出し抜いて勝ち負けを決するようなものがビジネスの性格なのではなく、非ゼロサム反復ゲームがビジネスの性格なのではないかな、と個人的には考えています。もっとも経営学で言うところの「企業戦略」と日常言われる「企業戦略」は意味が違って、むしろ「戦術」という意味で使われていますから、混乱はしますがね。

2009-01-07

『香水』

香水―ある人殺しの物語』(パトリック・ジュースキント)を読みました。某所の100冊文庫企画にエントリされている作品で、実に味わい深い小説でした。

なんといっても匂いが主要な要素である点、類書は多くありません。僕の好きな『匂いたつ官能の都』(ラディカ・ジャ)も匂いをめぐる物語だしフランス(特にパリ)を舞台としていますが、それに比べるとこちらのほうが奇譚ともいうべきお話で、まことにもって胡散臭いし荒唐無稽。それでいて皮肉でユーモラスで陰惨で官能的。

そもそも人間の嗅覚というやつは不可思議なもので、他の哺乳類と比べると格段に退化していますし、嗅覚疲労も起こります。発生学的には最も古い器官でありながら、人間ではそれほど機能していないという不思議。それでも接触による感覚受容という変わった方法だから、距離が離れていようが接触するという、なにやら妖しい魅力を放っています。

だからこそ、嗅覚を扱った本作は魅力的なのかも知れません。妖しいし、根源的な欲求や不安に揺さぶりをかけられるし。しかも根源的な不安の最たるものは、自分自身が何者でもない(あるいは何者でもあり得る)という事なのかな。

2009-01-06

すぐき

先日実家に帰ったら、「かの有名な『すぐき』なるものを食べるか?」と聞かれました。父の友人が毎年京都から漬物を贈ってくれるのですが、例年は千枚漬。今年は千枚漬に加えて「すぐき」を贈ってくださったそうです。

無知にして僕は「すぐき」なるものを知りませんでしたが、貰えるものは何でも貰うことにしているので、ありがたくいただきました。果たして「すぐき」は如何なるものだったのか。蕪のような大根のような野菜が酸っぱい漬物になっていました。この漬物が「すぐき」なのか、この野菜が「すぐき」なのかわかりませんでしたが、大変に美味しい。

「かの有名な」といわれて知らないのは不甲斐ないことなので、調べてみました(Wikipediaは人の知的能力を減衰させますね)。「すぐき」は乳酸発酵漬物の名前。漬ける野菜は「すぐきな」とか「すぐきかぶら」という蕪の変種で、日本で唯一の調味をしない自然漬物だそうで。

「かの有名な」京野菜というと辛味大根が思い出されます。かつては畑一枚でしか栽培していなかったとか、現在は二軒の農家しか栽培していないとか、まことしやかに囁かれます。それでいて、市井の蕎麦屋さんでは辛味大根蕎麦なるメニューを頻繁に見ます。ある時ある蕎麦屋さんで、意を決して注文してみました。

単なる辛い大根でした。汁気も多かったし。

2009-01-05

「メルヴィ&カシム」シリーズ

1月3日と4日に配偶者と子どもがいなかったことをいいことに、ライトノベル6冊一気読みを敢行しました。

選んだのは「メルヴィ&カシム」シリーズ(冴木忍)です。17年前にシリーズの1作目を読んで、ずいぶん面白かったという感想だけを持っていたのですが、その後タイトルも作者も忘れてしまい、つい先日、人から教えていただいたのです。

よくある剣と魔法のファンタジーで、まさにライトですね。軽く楽しみましたが、その割には感情描写が細やかで、読んでいて悲しくなります。特に「魔法」が万能の"魔法"ではないあたりにはしんみりさせられます。現実的な視線から読むと、「充分に進歩したテクノロジーは魔法と区別がつかない」という言葉が示すように、科学技術が成熟したとしても不可能なものは不可能だし、人間の営みには不条理なものがつきまとう、という感じです。

それにしても、シリーズが完結していないのが残念です。はたして続きは書かれるのでしょうか。まあ続きを想像する楽しみというのもありますが。

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈1〉』『ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈2〉』(ポール・オースター編)を読みました。

文庫2冊だったので、年またぎで読みましたが、これは非常に面白い本でした。コンセプトはアメリカに住む人達による「本当の話」を集めること。NPRで編者が呼びかけ、集まったものを選び、読み上げたそうですが、まさに事実は小説よりも奇なり。単に変わった話や不思議な話というばかりではなく、変哲のない風景から味わい深い心象が垣間見えたりします。

編者によって選ばれた話は179編とのこと(僕は数えていませんが)。大雑把に分類されてはいますが、内容は多岐にわたっています。アメリカという捉えどころのない国を解説する本は多いですが、それらのほとんどは政治面・経済面・宗教面などのどれかの側面に限定されることが多いです。しかし本書はまるで柳田國男の民俗学のように、アメリカ国民の「生の声」を多数集めることによって、アメリカという国を直接描くことではなく、間接的にあぶり出しています。

極めて短い短編の連続なので、読んでいるうちに、物語の多さに溺れてしまいそうな感覚がありました。多彩な物語はすべて現実の物語で、現在僕の周りにいる人たちもそれぞれが持っている物語だと思うと尚更です。誰かの言葉に、人は人生のうちに必ず一冊の小説を書くことが出来る、というものがありましたが、それを短編にして実現させてしまったような本でした。

少しだけ難点をいえば、当世の名訳者たちによる訳文がきれいすぎます。編者が冒頭で書いているのですが、収められた短編は決して文学的な文章とは言い難いとのことでした。ところが日本語訳は、なかなか悪文に読めないのです。ポール・オースターの基準から見たら文学的とは言い難いのかも知れませんが、僕の基準からするとこの訳文は充分に文学的でした。日本版の「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」をしたら、どんな文章が集まるかを想像すると少し面白いです(小川洋子さんや古川日出男さんがやったそうですが)。