2006-09-01

懐かしの逃走

楽天証券とWikipediaのからみがごく一部で話題になっているけれど、私見によると楽天証券の謝罪は大人の対応というか、政治的な対応であり、本来は謝罪するべきではないと思う。

業務改善命令が出されたことが事実であろうとなかろうと、Wikipediaの記事は公正かつ中立な意図をもって編集されることを単に期待するだけである。事実であればそれは記述するべきであり削除されるべきではない、などというイノセントな世界ではない。

その記述を担うべき個人に期待されるものはかなり厳しいハードルとなる。そのため、大勢の意見をもってよしとするのはそれなりに合理的だ。公正で中立な個人など滅多に存在しないのだし。

そうした中、誰にでも編集する機会は提供されている。その個人がどのような思想信条を持っていようとも、どのような組織に属していようとも、偏った記述は大勢の目に晒されることによって中立な方向へ修正されると期待される。

実際には大勢で偏った方向へなびいていたとしても、それは不問とする(例えばワイマール憲法下でアドルフが圧倒的な支持を得たりしても、民主主義的には問題ない)。自由から逃走していようとも、取り立てていまさらいうこともない。

件の楽天証券社員は、おそらく自らの思想信条と利益に導かれて、記述の編集をした。それが不当だと思うなら大勢の目に晒されることでおそらく修正されるだろし、誰にも騒がれなければなかったことになるだろう。ちょうど僕が未成年で喫煙するという悪事をはたらいても誰も騒がなかったように。逆に異なる立場の人が騒ぎたてて編集合戦が起こったらおそらく凍結されるだろう。それだけのことだ。

今回の一件で、「楽天証券は悪い奴」的な流れになった。それを受けて楽天証券は謝罪し、記述削除をした社員を処分した。世間様をお騒がせしたことに対する対症療法としてはそれなりに効果的だけど、そのような処分や対応を促す世間様には薄気味の悪いものが残る。