2010-02-23

手帳の予定欄

手帳の予定欄に空白部分を作らないようにすると、時間の使い方が能率的になる、という記事があった。

考えてもみてほしい。手帳にアポイントが定まった「緊急事項」や「緊急かつ重要事項」しか書き込んでおらず、半分以上が空白だったとしたら。あなたの一日はどのように過ごされることになるだろう。

僕の経験上、その一日はきわめて非効率な一日となる。アポイント以外の時間を「空き時間」として自ら設定してしまうからだ。他にやることがたくさんあるにもかかわらず、のんびりとした、目的意識の無い非生産的な時間の使い方になってしまうのだ。

であるならば、アポイントの定まっていない「緊急ではない重要事項」を入れてしまえばいい。

(改行と段落は勝手に修正)

僕は現在中小企業の代表をしているが、労働時間は基本的に自由時間から成り立っている。そんな僕の手帳はそれなりにアポイントの予定もあるものの空白部分が多いが、TODOリストも多い。何を優先すべきかがかなり頻繁に変わるので、時間の管理をするよりはTODOの管理をしたほうがなんとなくうまくまわるような気がしてそうしているのだが、やっぱり時間を効率よく使いたいという思いは絶えない。

しかし僕は、時間にしても何にしても計画を立ててそれを守るのが苦手なたちで、性格をMBTIで診断するとINTPになる。とはいうものの、自分にあったやり方を探す上で、手帳に空白を作らないようにするというのは一つの参考にはなるので、試してみようかと思った。

ちなみに現状では、howmがもっともうまく使えている。

2010-02-03

『ヒューマニティーズ 外国語学』

外国語学 (ヒューマニティーズ)』(藤本一勇)を読みました。

とっても壮大な論を展開しています。この「ヒューマニティーズ」のシリーズはどうやら論じている学問領域について、

  • どのようにして生まれたか
  • 学ぶ意味は何か
  • 社会の役に立つのか
  • 未来はどうなるか
  • 何を読むべきか
で統一しているようです。この『外国語学』もそのフォーマットに則っていますが、僕の想像していた内容はあっさりと裏切られました。

基本的に、本書は言語と権力の関係について論じています。特に近代以降の話ですが、外国語を学ぶという営みが帝国主義的な性格を帯びていることから始まり、外国語に限らず「国語」さらには言語そのものの持つ権力性を解説し、それを相対化して言語自体を使って言語外のものをあぶり出す行為について論じられています。

いくつか疑問に思うところもありました。「外国語学」という学問分野が作られたのはきわめて新しいことでしょうが、それ以前だって人は外国語を身につけていました。それに仮に日本の外国語教育が英仏独(露中)の技術や法制度や思想を取り入れることを目的として成立したならば、例えば欧米の外国語学はどうなのでしょう。英語の歴史にしてもフランス語の歴史にしても、いわゆる近代国家の成立と同時期に言語が統一されていることは確かですが、それはあくまでも「国民」や「国語」の話。そうした地域での外国語学はちょっと性質が違うのではないかという感想を持ちました。もう少し感想を具体的に言えば、トップダウン型の言語統一ではなく、ボトムアップ型の言語統一(そのようなものがあるかは知りませんが)では、権力のゲームは支配の様相ではなく訓育や合意の様相を示すのではないかな、と。例えばグーテンベルグやルターをきっかけにゲルマン諸語とラテン語の関係はどう変わったのかな、とか。

そんなこんな。難しい話ですが、「権力」という語が使われすぎていて、これをMachtとかpowerとかと読み替えるべきなのか悩みました。単に「力」とでもすべきところではなかろうかとも思いますが、権力論をはじめたらきりがないのでそれはあまり考えず。