2008-11-30

『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅』(ニール・シュービン)を読みました。

とても面白く読める、科学エッセイでした。主なテーマはタイトルの通り(原題は"YOUR INNER FISH"です)、個体発生に伴う進化系統樹の様々なかたちを探る、というような内容です。

面白いのは、化石資料を調べてそのなかに人間の器官の祖型を見つけることや、DNAの解析から、まるで異なった器官のように見えるものが様々なかたちで継承されているということです。考古学的なアプローチと分子生物学的アプローチの両面から、私たちのなかにある「魚的なもの」をあぶり出していくさまは、読んでいて痛快ですし、非常に含蓄があります。

また、本書は著者の研究室で行われている研究や著者が行っている解剖学の講義を下敷きにしていますので、研究者としてどのような失敗や試行錯誤をしてきたか、という記録にもなっています。特に化石発掘の部分では、全くはじめての化石発掘からエピソードもとられていますので、その視点の変化や体感覚としての着眼点を得るところなど、これも面白いものです。

本書のなかで特に印象に残った一文を引用します。

器官は一つの機能のためにしか生じないが、時間がたつうちに、いくつでも新しい用途のために転用することができる。

つまり爬虫類の顎の骨が進化の過程で哺乳類の中耳骨となるように、同じDNAマップでありながらまったく異なった用途に使われるようなことを示しています。個体発生は系統発生を繰り返す、という有名なフレーズがありますが、そういうものとは少しニュアンスが異なり、過去に生きてきた生物の名残を個体発生のうちに見いだすようなものです。

とても興味深い本でした。ただ、かなり専門的な記述も多いので、生物学やら古生物学に通暁していない僕としては未消化のところが多いので、そのぶん充分に味わい尽くしていないと思われるのが残念です。

2008-11-28

『マルドゥック・スクランブル』

マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮』『マルドゥック・スクランブル―The Second Combustion 燃焼』『マルドゥック・スクランブル―The Third Exhaust 排気』(冲方丁)を読み終えました。率直で簡単な感想を言えば、とても破天荒で面白いSFでした。もっと早く読んでいたら、もっと色々な人にその面白さを伝えたくなったことでしょうが、なんとなく読み終えたばかりの僕としては、面白さを消化することに専念したい気分です。

まずもって、SFだからガンアクションや白兵戦やカーチェイスがあるのはどうと言うことはないけれども、SFなのに法廷劇あり、ギャンブルあり、人間社会の価値や個人の存在意義をストレートに(いささか愚直に)問いかける作品というのも珍しいでしょう。そういったことや多少ナルシスティックな哲学的談義も含めて、非常に面白い作品だという感想です。

個人は名前のために生きている、というアフォリズムがあります。個人を形成する要素はその個人の物質的要素にのみ還元されるものではなく、その個人が身にまとった記号や情報によっても形成されているというような記号論的な話ですが、そういった面倒な議論はさておいて、この作品の名前の付け方にまずは感心しました。

主要登場人物だけあげても、
バロット Balot(フィリピン英語ではbalut)
オフコック Œufcoque(フランス語ではŒuf à la coque)
イースター Easter
シェル Shell
ボイルド Boiled
これらすべては卵などに関係する名前ですし、そのキャラクターの物語での立ち位置もその料理や素材などに暗示されています。作品には色々な解釈がつけられるものですが、僕はひとつの解釈として、「生成」の物語でもある、と無謀にも断言してしまいます。産み落とされた卵がどのような特性を得るかは産まれた後の話であり、どういう最終形態を持つかは卵にはおよそ関係のないことです。ある卵は雛に孵るかもしれないし、ある卵は殻だけになるかも知れない。そうしたものを名前だけで暗示しているのは安直というか思慮深いというか判断はつきませんが、とにかく感心します。

それ以外にも作品中に現れる、まるで『時計じかけのオレンジ』か『1984年』のイングソックのようなスラングもまた、卵に関連するものが多いです。法務局=ブロイラーハウス、「充実した人生」=サニー・サイド・アップ、「焦げ付き」=ターン・オーバーなど、いかにもなところでいかにもな言葉を持ってくるあたり、言語感覚的にも僕の興味を刺激しました。

とにかく僕がなんやかんや言うまでもないでしょうが、この作品は楽しめました。余談ですが、三冊目のカバーイラスト、ダイヤやハートのカードも黒く描かれているのですよね。あくまで色彩的にイラストとして最適と思われるように描いたのでしょうが、僕個人としては赤くなっていたほうが好みです。

2008-11-25

『キリスト教文化の常識』

キリスト教文化の常識 (講談社現代新書)』(石黒マリーローズ)を読みました。

まさに常識です。それ以上のものではありませんが、知識として知っているキリスト教文化と、生活に根ざしたカトリックの教えとは多少の距離があるようで、その生活の部分では新たに知らされることが多く、勉強になります。特に英語やフランス語の慣例句に現れるキリスト教的な表現は参考になりました。

しかし僕の母は宗派の違いはあれどもクリスチャンで、食事の前にはお祈りをするし、聖書はいつでも読んでいるし、日曜日には必ずミサに出かけるし。そういう母を見ていると、国の違いはあっても何となく馴染みのあることばかりでもあり。

『アメリカの混迷』

アメリカの混迷』(草野徹)を読みました。

著者は共和党に肩入れしているようで、共和党に都合のよい書物や報告書をあげて、民主党の過去をあげつらう内容がメインでした。民主党に肩入れしている人の書く本を読めば、どっちもどっちという感じはしますが。政治の話はいつだってきな臭い物ですし、コンサーバティブにしろリベラルにしろ、成功もあれば失敗もあるものです。いわゆる「知識人」はリベラルに偏る傾向はあるにしても。

これを日本に置き換えると、まるで自民党と民主党のような、あるいは朝日新聞と読売新聞か産経新聞のようなものでしょう。どの論説を読もうとも、欠陥はあるしよいところもある(ないかも知れませんね)。こういう僕のような態度は日和見主義といわれても構いません。

中庸を尊重できないものなのかな、と思ってしまいます。

2008-11-24

『喪失記』

喪失記 (角川文庫)』(姫野カオルコ)を読みました。

作者のほかのエッセイを読むと、この作品の主人公の行動や思想が作者のそれを色濃く反映しすぎているような気がして、小説としての出来映えはあまり感心できなかった。テーマはとても興味深い。

2008-11-23

『軍犬と世界の痛み』

軍犬と世界の痛み』(マイケル・ムアコック)を読みました。

「エターナル・チャンピオン」シリーズの一環。ムアコックにしてはものすごく直線的な探索物だったので、ちょっと意外。法と混沌のバランスという基本的な世界観も、本書では薄らいでいるし。ムアコックの新しめの作品ではやっぱり神々の問題よりも人間の問題を扱いたがっている模様。

『ソーシャル・キャピタル』

ソーシャル・キャピタル―現代経済社会のガバナンスの基礎』(宮川公男・大守隆 編)を読みました。

ソーシャル・キャピタルをめぐる、経済学の論文集。ソーシャル・キャピタルについては用語は違うけれども経済学や社会学などではずいぶん前から議論されていることだから、それほど目新しいこともなかった。ボウルズ=ギンティスの議論やパットナムの議論は既に読んだことがあるし、それらの紹介にとどまっていたような。

『時砂の王』

時砂の王』(小川一水)を読みました。

とても面白かった。はじめは史実と違う、などと思ったけど、時間SFなので、時間分岐した過去の世界なのだな、と納得。

『モンスター新聞が日本を滅ぼす』

モンスター新聞が日本を滅ぼす』(高山正之)を読みました。

目次をみれば内容が想像できる本でしたので、目次を引用します。

まえがき
I
横田夫妻に残酷だったマスコミ
事件を事件にしない
自衛隊にケチをつける『朝日』
歴史の真実を知らない日テレ
NHKに「言論の自由」!?
未熟な大人をもち上げるTBS
よくぞ言った橋下弁護士
愚にもつかぬ『あるある』騒動
大軍拡に快哉を送った『朝日』

II
「タミフル騒ぎ」の事実歪曲
「原発はやめろ!」は馬鹿の大合唱
古舘伊知郎の真っ赤な嘘
殺人食品を見ぬふりの『朝日』
正真正銘のマッチポンプ報道
悲しき反安倍キャンペーン
基地と市民と『朝日新聞』

III
日本を溶かす元凶
嫉妬と偏見の日本国憲法
民主党大統領は日本に不利だ
"侵略者・日本"をでっち上げた米中の都合
祖国を罵る悲しき日系人の「業」
日本の官僚は腐っている!
何度でも言おう、世界はみんな腹黒い


偏っていない人間など信じられない僕としては、偏っていない新聞など信じられない。偏りを偏りとして見られてこその報道だと思うのだけれども、著者は著者なりの偏りで、逆方向の偏りを一方的に非難しているので、ちょっと不愉快。

2008-11-18

『第六大陸』

第六大陸〈1〉』『第六大陸〈2〉』(小川一水)を読みました。

本書の内容は単純で、民間企業が月に有人滞在基地を建設する、というものです。

興奮しました。宇宙開発の話は大好きなのですが、この小説はきわめて近い未来を舞台としているだけあって、歴史的宇宙開拓の事実もたくさん出てきますし、現在進行中(あるいは頓挫中)のプロジェクトの話も盛り込まれています。そのうえ科学技術的には、現在の技術でも決して実現不可能ではないのではないかと思わせるほどにリアリティがあります。そのぶん人物の描写は手薄になっているのかも知れませんし、ストーリー的に広がりがないかも知れませんが。

まるで近未来のプロジェクトXを読んでいるような気がしました。ひとつの感想としては、登場人物たちのひとりでも、一緒に仕事をしてみたいということです。『妙なる技の乙女たち』でも思ったことですが、小川さんはプロとしての自覚と実行力を備えた魅力的な職業人を描くことに長けていますね。

仕事に燃える人たちの話は、それほど得意ではないのです。私事ですが、僕はかつて仕事に没頭し、帰宅しても寝るだけが当たり前でしたし、家に帰らないことも多い状態でした(今はまったく違いますが)。大きな企業で新規事業の立ち上げに携わり、関係企業の調停やら技術的説明やらにじたばたし、その傍らでシステムの設計をしてたりしていました。僕はプロジェクト完了前に退職しましたが、その後の実働している成果をみているとそれなりな満足を覚えてしまうのですね。

なぜそれをするか、どうやってそれをするか、そうした疑問には仕事をしている上では常につきまとうものです(僕が今従事している仕事も疑問に満ちています)。しかし各人の思惑はそれぞれでも完成型は最終的にはたったひとつ。それに向けての協働体制はそれなりにやりがいのあることです。それが既にあった出来事をなぞるのではなく、これから起こりうる想像的な出来事を、圧倒的なリアリティをもってシミュレーションし、読者を飽きさせない展開も含んで描かれる小説として、繰り返しますが興奮しました。

ちょっとだけ難点をいうなら、特に金額面で、数字の桁違いだろうと思えるようなところや矛盾が多々みられました。これは実現可能性という夢を描く上で作者が必要と感じたからあえて桁違いで書いたのでしょうが(後書でもそんなことに触れていました)、「そんなわけないだろう」というツッコミも少し入れたくなってしまうのは、僕が熱血漢ではないうえ仕事に夢を持たないせいでしょう。あとはネタバレになるので書けませんが、有人滞在基地のある目的とその結果に関しては割り引きしたい気分ですし、蛇足のような気もします。

とりあえず、長く僕のお気に入りの本になることは間違いありません。

2008-11-15

『町長選挙』

町長選挙』(奥田英朗)を読みました。

この作品はこれまでの伊良部先生のシリーズと違って、あまり純粋には楽しめませんでした。知人が言うように勢いがなくなったのかも知れませんが、実在の人物を題材にとったりしているので、賞味期限の短い本だな、と思いました。ライブドアショックがあったときに僕は同じビルを職場としていたのですが、既に遠い昔のような気がしますし。

そうした意味では、タイトルともなっている「町長選挙」だけが唯一の創作かなと思いきや、これもなかなか純粋には笑えない話です。単純な笑いや伊良部先生の癒しを狙っているのではなく、皮肉でもって現代を描くような雰囲気のする作品でした。そういう作風も嫌いではないのですが、作品の完成度という面ではもう少しどうにかなるのではないかと、読者としての一方的な感想です。

『統計数字を疑う』

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? (光文社新書)』(門倉貴史)を読みました。

ダレル・ハフの名著『統計でウソをつく法』や谷岡一郎さんの『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』と似たような本かと思いきや、そうした統計一般に関する話題ははじめの数章のみで、後に行くほど経済統計に的を絞った濃い話で、とても満足度の高い本でした。図書館で借りた本なのですが、是非購入して手元に置きたい、そして時折参照したい本でした。

僕はこの本を読むまでにも、色々な統計情報の算出方法や精度に疑問を持っていましたし、社会調査や統計についての専門教育も受けたのですが、その事情がまとめて読めるというのはとても貴重です。著者である門倉さんの出す新書は、ご専門が地下経済ということもあってかセンセーショナルなタイトルがついていることが多いけれども、とても地に足のついた、ページ数の割に重厚な本が多いので、ファンになってしまいそうです。

2008-11-12

『たったひとつの冴えたやりかた』

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)を読みました。この本は多分中学生の頃に読んだのですが、訳者は同じながらも新しい訳がでているようだったので読んでみました。

感想として、なんといってもずいぶん前に読んだ本なので、翻訳の違いを味わうほどには覚えていませんでした。話の細かいところも覚えていなかったし。あらすじは覚えていたけれどもほとんどはじめて読む本のように楽しめました。物語の主要な語り手が15才くらいの女の子なので、訳文もそれらしくやさしい語り口ですし、とても読みやすいです。それにしても主人公たちの「たったひとつの冴えたやりかた」に至る決断を思うと、胸が熱くなります。前後の作品がないのは、物語の流れから言って少し残念でもありますが。

ところで、初出は1986年とせいぜい20年前なのに、音声を記録するのに磁気テープやカセットを使うとか、紙テープに出力するとか、色々な電子デバイスが本当に陳腐化しているところを思うと、現在のコンピュータ系の世界を舞台としたSFも20年すると陳腐化するのかな、という複雑な思いです。まあ古いSFにその傾向はいつでもつきまといますが。

2008-11-10

『空中ブランコ』

空中ブランコ』(奥田英朗)を読みました。

「性格っていうのは既得権だからね。あいつならしょうがないかって思われれば勝ちなわけ」

主人公の伊良部先生を語る言葉として、蓋し名言です。

前作の『イン・ザ・プール』とまったく同じようにお腹を抱えて楽しみました。こういう医者にかかってみたい(でも一回だけでいいかも)。本当に癒されます。

ちょっと不思議に思ったのですが、作者は単行本に収録する短編数を見越して連載していたのでしょうか。ほとんど連載順に収録されていますが、一冊の本としてみても構成は絶妙なバランスを持っています。はじめにアクションありのどたばたで引きつけて、中程では中だるみしないようにバリエーションを変えて、ラストはしんみりとする人情話。見事でした。

『町長選挙』も読みます。

2008-11-09

『イン・ザ・プール』

イン・ザ・プール』(奥田英朗)を読みました。

はちゃめちゃ精神科医が活躍する面白話と聞いたので読んでみたのですが、噂に違わず面白かったです。僕はこの作品が映画化されていることすら知りませんでしたが、配偶者が教えてくれました(面白い本の話はもっと早くして欲しいものです)。

僕の主治医である精神科医はこんなにはちゃめちゃではないし、謎の露出狂(?)で切れ者(?)のナースもいませんが、精神科という性質もあるのか、処方の内容を薬品名まで指定しながら相談したり、僕が関係各所に提出する必要があるときには、診断書についても話します(法に抵触するかも知れないので詳しくは話せませんが)。

それでもやはり医者と患者。ドライな関係ですが、本書に登場するはちゃめちゃ精神科医のお話は実はウェットな人間ドラマだと思い、こんな精神科ならかかってみたいものだな、と思ってしまいました。

2008-11-08

『妖人奇人館』

妖人奇人館 (河出文庫)』(澁澤龍彦)を読みました。

初出は1966年から1969年あたりとのことなので、情報の溢れた現在から見れば「何を今更」な妖人奇人の人選かも知れませんが、古い本で、なおかつ一般誌に連載されたとのことですから、それを踏まえれば面白い読み物でした。

澁澤龍彦の文章は、僕はあまり得意ではなかったのです。妙に思弁的で、身体感覚としてわかりにくい難解な言い回しが多いような気がして。それでも本書は一般雑誌(別冊小説現代)向けの文章をつむいだのか、とてもやさしい語り口でした。

内容といえばノストラダムスやらサン・ジェルマン伯爵やら、新しいところではラスプーチンやらの怪しげな人々を紹介しています。もちろん怪しげな本ですが、澁澤龍彦の手にかかるとこれが実に魅力的というか蠱惑的というかになってしまうから不思議です。

『クリスタル・サイレンス』

クリスタルサイレンス〈上〉』『クリスタルサイレンス〈下〉』(藤崎慎吾)を読みました。

仮想電子空間の描写が、ここ最近出会ったSFのなかでは最も素敵だったのではないかと思いました。仮想電子空間に限らず、ネットワークの性質やデジタル情報の性質について、非常に細かな描写や設定が素敵です。こうした物語世界を垣間見たというだけでも、充分読んで満足でした。

それに限らず、KT(主要登場人物)の獅子奮迅ぶりなど、数秒の出来事なのだろうけれどもその冷徹さと非情さに痺れました。あえて苦言を呈するなら、ツッコミどころは縄文人と弥生人の分断を前提としているあたりと、フラクタルとして解析できる人工物が普遍的にあることをちょっぴり無視しているあたりでした。

2008-11-04

『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』

みんな、どうして結婚してゆくのだろう (集英社文庫)』(姫野カオルコ)を読みました。一言でいえば、前提条件を疑いながら「結婚」について論理的に綴られたエッセイです。

前提条件を疑うのは、学問上でも商売上でも、その方が色々と有利になるので当然の行いです。ですがなかなか当然のことを当然と考えないのは難しいことで、本書はとても身につまされます(特に男である僕にとっては)。読むといたって正論であり、納得させられますが、こうした正論は読まない方が幸せな人もいるでしょう。しかし僕の場合は読んだ方が幸せになれました(ちなみに配偶者がこの本を先に読んだのですが、とても面白かったといっていました)。

本書の内容に文句をつけるとしたら、姫野さんはベルクマンの法則やアレンの法則をご存じないのか、背が高くて体格のよい男性を健康や精力と結びつけているところでした。ちなみに僕は背が高くもなく(170センチ台半ば)、体格もよくなく(50キロ台半ば)、健康でもないのですが、ここは客観的な事実として譲れません。背の高さは健康とは結びつきません。ましてやセックスの強さをや。

僕は結婚していますが(結婚式はまだしていません)、振り返ってみるとどうして・どうやって結婚したのでしょうね。結婚生活も、勤め人では無いながらも「普通に」やっています。

2008-11-03

『"文学少女"と月花を孕く水妖』

"文学少女"と月花を孕く水妖 (ファミ通文庫)』(野村美月)を読みました。"文学少女"シリーズの6作目です。

今回の作品はシリーズ中では番外編となっていて、学校生活が描かれていません。シリーズがすすむごとにキャピキャピ度が下がっていますが、この作品もあまりキャピキャピしていませんでした。それは題材にとっている泉鏡花の世界のせいもあるかも知れませんが、作風の変化やらシリーズのシリアス度が高まったためでもあるかも知れません。

一冊の作品として見ると、とても痛い作品です。"文学少女"の遠子先輩が愛おしくてなりません。泉鏡花の世界に耽溺するようなストーリーですが、古い別荘で再現される過去の事件のミステリ風味なお話よりも、やはり中心となるのは心葉くんと遠子先輩の関係でしょう。

文学談義も今回に限っては、遠子先輩が客観的に味覚になぞらえるようなものではなく、心情の吐露という感じがしました。鏡花の作品は青空文庫で多数公開されているので、再読するのも一興です。というか、僕は読み耽ってしまいました。

2008-11-01

『大人の見識』

大人の見識 (新潮新書)』(阿川弘之)を読みました。週末に生家に帰ったのですが、その帰り道で読む本がなくなったため、生家の書架にあったものを適当に選んで手に取った本です。

「○○の品格」系の本と同じようなものだろうと想像していたのです。それで著者が「あの」阿川さんですから、きっと大日本帝国海軍万歳な本だろうと。読んでみると確かに海軍万歳なのですが、海軍の中の紳士たちが先の戦争に突入することを必死で反対していた様を伝聞などで聞くと、これがなるほど大人の見識というものなのかな、と思わされました。

本書の内容としては、大正から昭和にかけての、海軍の知られざるエピソードとその伝統の柔軟性を紹介しています。そして海軍が範をとった英国的紳士のユーモアのあり方、そして英国王室と密接なつながりのある天皇家のあり方など、筆者ならではの人脈から聞いたり書物から得た戦前・戦後の話が披露されています。筆者自ら書いていますが、「大人の見識」ではなくて「老人の非見識」とのことですが、これは謙遜というもので、おじいちゃんの知恵袋のような本でした。そして主にユーモアと自由とについて書かれていますので、エピソード集のような読み方をしても面白いです。

もちろん内容はもっと多岐で雑多なもので、他にも日本語のあり方であったり、儒教文化の再考であったりするのですが、乱雑に綴ったような本でありながら流し読みするのはもったいないような本でした。滋味あふれるというのはこうした本なのかな、と幾分若くない趣味を持った僕は感じました。ちなみに僕は、『論語』などの四経五書を10年くらい前から折に触れて眺めている程度の入門者ですが。

遠藤周作さんや北杜夫さんのエッセイには、若い頃からの阿川さんが頻繁に登場しますが、曰く海軍キチガイ、怒りっぽい瞬間湯沸かし器。そうしたイメージが少し薄らぎました。

『闇の公子』

闇の公子』(タニス・リー)を読みました。

本書の構成は、かなり短編小説の連続に近いです。一つ一つの短編を読んでいるようで、人間の感じる時間では非常に長い歴史をたどりながら、全体として一つの物語を作っている様は、本当に見事でした。禍々しくて美しい世界も、とてもきれいな文体(翻訳には苦労したでしょうね)で描かれているのでとてもしっくりとしています。

この作品のようなファンタジー世界は、僕の大好きなエルリック・サーガと少しだけ似ています(ちなみにエルリックが初登場したのは1961年、本作は1976年初出です。両者ともロンドンですね)。剣と魔法の世界で、筋肉にものを言わせて剣をあわせる主人公ではなく、ほっそりとして妖艶な美しさを秘めた主人公が、圧倒的な邪悪さと不可思議な強さを持っているあたりが似ていなくもないです。つまり僕のツボにはまりました。アンチ・ヒロイック・ファンタジーの一種と言えるかも知れません。