2009-07-31

未成年者の喫煙

先日、とある外食チェーン店の喫煙席に座ったら、隣に挙動の落ち着かない若い女性が座っていた。少し気になったのでちらりと見たら目があって、彼女から話しかけられた。曰く「煙草を吸っていること、店の人に言わないでくださいね」とのこと。僕が私服警官や店の人だったらどうするつもりだったのだろう。

誰もが知っているように、未成年者の喫煙は法律(未成年者喫煙防止法)で禁じられている。しかし本人に対しては、せいぜい喫煙器具や煙草を没収できるくらいで、罰することができないのは案外知られていないように思われる。罰を問えるのは、親権者やそれに代わる監督者、未成年と知りながら販売した者くらいだ。

僕はどうしたか。もしも彼女の年齢を確認して未成年だったら何か言わなければいけないだろうから、絶対にその手の質問を避けた。チキンだ。その上で、未成年者喫煙防止法のあらましを話して、僕は親権者でも監督者でも販売者でもないので彼女がもしも未成年でも何かをすることはできないことを伝えた。そしてこれは道義的な話だが、煙草をやめようと思っても習慣(中毒)になってからでは遅いことを伝えた。

軽度の法律違反に対して、まっとうなオトナとしてどのように対応すればよいのかわからなくなりつつある。よく知っている人ならば小言をし、お節介を焼くところだろうがこの場合は見も知らぬ人だ。ネット上ではそうした軽い法律違反がもとで「炎上」しているところも多々見られるので、あまり大ごとにはしたくない。駐車違反やスピード超過やちょっとした器物破損などで、大きすぎる社会的制裁を受けることだってあり得るからだ。

善いことと悪いことは、実際にはそれほどはっきり分かれるわけではない。法律にしても、それを判断するのは正確には司法の役割だし、そもそも法自体が揺らいでいる(民主党が成人を18歳に引き下げようとしているという話を聞いたが、飲酒や喫煙はどうなるのだろう?)。それでもなお「善いこと」を錦の御旗のようにして正論を振りかざすのは、少しファナティックに感じることもある。しかし確かに悪いことは悪いので、正論を退ける根拠もない。

結局のところオトナな対処の方法は、社会生活を営む上で他者とどのような関係性を持っているかに依存するとしか言いようがない。

2009-07-30

お台場のガンダム

あちこちで話題になっているお台場の1/1ガンダム、僕が18歳の時に知り合ったA君の同僚が企画に携わったらしいです。その話を配偶者(配偶者とA君も、18歳の時に知り合いました)にしたら、それじゃあA君にさらなる企画を持ちかけてみようか、という事になりました。

地域経済の発展に寄与するよう、東京のみならず各都道府県に1体のモビルスーツを置くのです。広告媒体にしてもよし、観光資源にしてもよし、使い方は自治体任せ。47種類のモビルスーツをどう選ぶかを妄想すると楽しいです(関係する地域の方、僕の個人的な妄想ですので怒らないでください)。

例えば大阪府。話題の知事はコスト削減に熱心ですから、ぴったりのモビルスーツと言えばジオングです。「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」という名言をもっとも効果的に実践できそうな自治体ですから。

例えば茨城県。牛久の大仏(約100m)と並んでビグ・ザム(約60m)が立てば、信心も深まろうというものです。ビグ・ザムはモビルスーツではなくモビルアーマーだというツッコミが来ても、阿弥陀如来の徳の前ではどうと言うことありません。

例えば鳥取県。島根と並び称される偉大な県ですから、同じような偉大なモビルスーツがふさわしいです。となるとザクレロ(これはモビルアーマーですが)も捨てがたいところですが、僕がプラモデルを買ったという理由から、アッグガイだと断言します。

逆にどのモビルスーツがどこに行くのかを妄想するのも楽しいです。8月31日でお台場のガンダムはおしまいだそうですから、そういう華々しいモビルスーツは埼玉県か千葉県あたりに譲っていただき、東京都はアッガイにしましょう。シャア専用機はどの自治体にもふさわしくありません。陸戦型ドムは徳島・香川・愛媛・高知のどこか三県において仲間はずれをつくるなんてどうでしょう。

A君に話をしよう。一笑に付されるでしょうが。

2009-07-27

『仏教ではこう考える』他

仏教ではこう考える (学研新書)』(釈徹宗)を読みました。不真面目な真言宗徒として仏教の考え方を何となく知ってはいるのですが、こういう本には食指が伸びます。表紙カバーを開いたところにある惹句に、ちょっと気になる文句があったのですよ。曰く、まさにこの人は「仏教の白石さん」だ、とのこと。白石さんはもちろん「あの」生協の方ですが、当意即妙の回答があるのかな、と期待して読んだところ、期待が裏切られることはありませんでした。

釈さん(本名なのでしょうかね。できすぎた名前です)は、この本を読む限りでは人に法話をするのも人から頼られるのもできれば避けたいタイプのようで、確固として半ば盲目的な信仰をお持ちの方ではないようです。そんなお坊さんだからこそなのか、ご本人が比較宗教思想を研究なさっているからか、仏教(浄土真宗)にどっぷりとはまった話ではなくて、どうやら真宗ではこうしているっぽい、というようなニュアンスが漂います。寄せられた質問に回答するにしても、「~しなさい」というのではなく、仏教的な立場から「たぶん~ということなのでしょうね」といった感じです。

だからといって当事者の立場にも身を置いていますので、完全に突き放すわけでもなく、基本軸がすごくしっかりしている回答なのです。著者曰く仏教的な態度とは、問題の根本まで解体して、関係性から読み解いていく、というようなものだそうです(それは仏教的な態度と言うよりもむしろあるジャンルの哲学的な態度だと僕は思います)。仏教がわかりにくいのは精緻な教学やら膨大な経典やらにあるのではなく、宗派や教えがあまりにも多様だから、と僕は考えているのですが、本書では仏教者のあいだではおそらく共通して尊重される考え方で、雑多な日常的な疑問に答えています。

でもこの本で答えているのは日常的な疑問ですから、宗教性の高いものではありませんね。宗教のある部分は極めて非合理で非社会的なもの(さらに言えば狂っているもの)だと僕は思いますが、この本からそうした要素を感じることはできません。信仰云々を言うよりも、叡智としての仏教思想や東洋哲学の手法を紹介する、という趣でした。

その他、近頃読んだ本。
会社のお金はどこへ消えた?』児玉尚彦
新入社員のための経理マン入門 (日経文庫)』中村輝夫
原価計算の知識 (日経文庫)』加登豊、山本浩二

弊社で労務関連を担当してくれている従業員さんがあまりにも会計関係に疎いので、どの本のどのあたりを紹介すると良いだろうな、と思いながらずいぶん前に読んだ日経文庫を再読。日商簿記のテキストでも良いかも知れないけど、もう少し読むのに面白くて入手しやすくて情報が古びないようなものはないかな、と探しています。『会社のお金は~』はちょっとした興味で。

2009-07-23

小股の切れ上がった

雑談です。えっちな男性の僕ですから、多少ジェンダーバイアスがあります。

先日は、僕が高校時代を過ごした土地が関東一の祇園と自称しているお祭りでした。僕は仕事でこの街にいたのですが、数えてみれば15年ぶりにこのお祭りに遭遇したのです。

ノスタルジーの波にさらわれそうになりましたね。はじめて意中の女の子と二人きりでデートしたのはこのお祭り。そんな感傷に浸りながら車を運転していると、浴衣の女性(高校生くらいかな)が自転車に乗っているのを見ました。これは美しくない。僕は一部友人のあいだでは冷やかしの対照になるほどの袴好き(弓道着がもっとも好き)なので、袴姿の自転車は多いに奨励するものの、浴衣はいけません。なぜ美しくないかをあれこれ考えるに、裾の乱れが一番の要因だと結論しました。僕の語感では「小股の切れ上がった」というのは裾捌きに尽きるのです。

そこで疑問。僕の「小股」は裾からのぞく部分で、「切れ上がった」は上手く説明がつかないけれどもシャープにぴしりと立っているような感覚ですが、他の人はどんな語感を持っているのでしょうか。また、語源は何なのでしょうか。Google様にお伺いを立ててみると諸説紛々で何とも言い難いのですが、皆さんえっちな男性なのか、多いに考えているのですね。その中でも「知の関節技」というサイトの「小股ってどこか」 よりも大切なことという記事が比較検証といい、結論を出さない結論といい、多いに感服しました。

ここに引用されている諸説には心惹かれる素敵なものが多いです。坂口安吾のなんと可愛いこと。太宰治のきっぱりとした物言いのなんと潔いこと。吉行淳之介の観察のなんとみずみずしいこと(僕の語感は強いて言えば吉行流でした)。その他その他。

上記サイトでいう結論らしきところの、積極的に曖昧なままにしておく美意識。素晴らしいですね。粋ですね。そして、何とも言えずエロいですね。

2009-07-22

架空請求

久しぶりの架空請求が来ました。

件名:【重要なお知らせ】

(株)リードシステムの広田と申します。
弊社は総合情報サイトを提供している(株)ファインネットより利用規約違反に至ったお客様のデータベースの抹消、退会事務手続き並びにそれに伴う身辺調査の依頼を受託し、この通達を発行致しております。
この度、お客様がご使用のPC、携帯端末より以前ご登録頂いた【総合情報サイト】から無料お試し期間中に退会手続きの処理がされていなかった為に、登録料金、利用料金が発生し現状未払いとなった状態のまま長期放置が続いております。 本件に関しましては利用規約違反に該当する為、現在利用規約第三条二項に基づき情報管理センターにおける不正利用者データベースにお客様の端末情報が登録されている状態でございます。
これ以上現在の状態が続きますと利用規約第四条一項に基づき、法的手段による未払い金、別途三十万円の違約金請求となります。
本通達から翌日の正午までにご連絡を頂けない場合、認可ネットワーク認証事業者センターを介入し、発信者端末電子名義認証を行い利用規約に伴い、法的措置を行う為のお客様の身辺調査に入らせていただきます。
このような手続きを行いますと調査費用などは利用規約どおり、お客様の全額負担となります。

退会処理、データベースの抹消手続き、並びに料金の詳細につきましては下記番号へ翌日正午までにお問い合わせ下さいます様お願い致します。


(株)リードシステム
ご相談窓口
TEL03-6457-7402
担当 広田
営業時間 9:30~19:00定休日 日曜日
(電話番号は、お間違いのないようご注意下さい。)

尚、ご連絡なき場合明日の正午より手続き開始となりますのでご了承下さい。


ツッコミどころとしては、会社名と電話番号が不整合なところ、「総合情報サイト」が何なのかはっきりしないこと、「利用規約」がどの利用規約か明記していないところ、「認可ネットワーク認証事業者センター」が不明なところ、「発信者端末電子名義認証」は携帯電話なら技術的に可能かも知れないけれど(認証、とまでは言いすぎ)、PCではほとんど不可能なところ、「ご相談窓口」は担当違いではないかというところ、などなどですね。

2009-07-21

ドラゴンランス新装版

ずいぶん前の話ですが、富士見書房から全6巻で出ていた『ドラゴンランス戦記』やその他のドラゴンランスシリーズを楽しく読んだものです。このシリーズはTRPGのAD&Dをベースにしているようですが、僕はAD&Dをやったことがないにもかかわらず、既知の似たTRPGで補いつつ(D&DやRQやT&Tなど)熱心に読みました。その後『ロードス島戦記』とかソードワールドのリプレイとか流行ったけれども、その手のは軟派なものと決めつけて(いや、ほんと決めつけなんですけどね)、一途にアメリカ発祥の剣と魔法の世界を追いかけていました(そのおかげで英語が少し読めるようになったというおまけ付き)。

その『ドラゴンランス』、特に僕が親しんだ富士見書房の旧版は絶版になり、僕ももう少し違った種類のファンタジーに興味が移ったこともあり、記憶の片隅に追いやられたのですが、角川つばさ文庫から新装版がでる模様。

気になるのは、旧版の「アメリカン!」なイラストではレイストリン・マジェーレが小室哲哉さんそっくりだったのに、今回のはなんというか今風。レーベルの角川つばさ文庫といい、かつておおいに楽しんだ世代向けではなく、これから楽しむ人向けのものかと半ば納得したのですが(それでも安田均さんの翻訳はあまりライトではないような気がします)、買おうかどうしようか。

3日前に『大菩薩峠』全巻揃いを古本屋さんで買ってしまったので、しばらく本を買うのは控えようかと思いつつも、逡巡。

2009-07-15

ひとがみなわれより○○に見ゆる日よ

毒を吐きたくなる時もあります。というか、今がまさにその時で、悪意と自己憐憫と独善に溢れて夜郎自大になっています。

誰も彼も、仕事上で思い通りには動けないというのは重々承知しているのですが、中小企業の代表なんぞをしていると従業員の皆様に対して「もう少しきちんとできるだろう?」と思うことしきり。その内容というのは決して本人以外には話せるようなものではなく、本人に話をしても暖簾に腕押しだったりすると、もう飲み屋のサラリーマン状態が恋しくてたまらなくなります。もちろん誰にも話しませんが。

愚痴を言いたい。とはいうものの、上司の悪口ならばたいして害はないけれども、働いてくれている従業員の悪口すなわち経営者の悪口ですから言えるようなものではないし、言ってもさらに悲しくなるだけです。

「王様の耳はロバの耳」のかわりに、サックスを吹きました。今の活動拠点となっている田舎の市民吹奏楽団にお邪魔して(僕は楽器も奏法も音もジャズ風なので、はっきり言って邪魔です)憂さを晴らそうとしたところ、ここでもまた「もう少しきちんとできるだろう?」が発生。べらぼうに上手い人もいるのですが、楽団全体としてみるとリズム・メロディ・ハーモニーのすべてが拙いのです。別の日に馴染みのバンドで練習をすると、実に安心して演奏をすることができて、その心地よさは月とすっぽん・谷崎潤一郎と2ch.netの書き込み・スタン・ゲッツと僕くらいの差がありました。

そんななかで読書に逃避しています。かつて読んだ『現在に生きる遊牧民(ノマド)―新しい公共空間の創出に向けて』(アルベルト・メルッチ)を手に取りました。今回久々に本書を読んだのも、現代社会の分析みたいな論文を読んで、そういえば同じようなことを読んだことがあるな、と思ってのことです。ところが日本語訳を読むととても難しいことが書いてあって、さっぱりわけがわからない。僕の理解力が低下しているのが最大の理由と思いますが、訳文も「もう少しどうにかなるだろう?」な感じです。いちいち付き合わせてはいませんが、「新しい社会運動」界隈の社会学的術語がいまいちきちんと訳されていないような気がします。あと副題は意訳しすぎ。

外出時に読み終え、読むものなしの非常事態に陥ったので、コンビニに飛び込んで本を買うという初体験をしました。買ったのは『人間関係のしきたり (PHP新書)』(川北義則)です。おじいさんの知恵袋や人生の先輩の教訓といった感じの内容で、じつにすんなりと理解できてしまい(納得はできませんでしたが)、別の意味で鬱々としてしまいました。複雑で緻密な論理を追うことができないのに、短くて感覚的な訓話はふんふんと読み流してしまうという僕の態度は何かおかしいのではないか、というわけのわからない自己嫌悪です。オトナになりきれていない僕は内容にも文句を言いたくなり、人間関係のような相対的なものをどのように語ろうとも中庸に優る叡智なしなどと偉そうな感想を持ちました。

意気消沈して別の本に目を向けます。あまり気分が文学ではないので『万物理論 (創元SF文庫)』(グレッグ・イーガン)を読みましたが、期待が大きすぎたせいか何となくがっかりな読後感。エドワード・サイードの焼き直しをSF風味のガジェットにくるんで物理学で味付けをしたような印象を持ちました。未来世界には満足したのですが、その背景にある認識論や形而上学にずっと引っかかってしまい、物語の進行にいちいち「もう少しどうにかなるだろう?」とツッコミを入れてしまいました。デカンショ(デカルト・カント・ショーペンハウアーの説あり)はかなり死語かもしれませんが、まだまだ考え方は生きていますね。未来の物理学も少しがっかりでした。

ああ! もう! 何様のつもりなのか、毒を吐きまくりですね。花を買わなきゃ