2006-10-18

コップの水

コップに水が入っている。この水を「もう半分しかない」と考えるか、「まだ半分ある」と考えるかで、人生は大きく変わるものだ。

という話をはじめて聞いたのは、おそらく20年くらい前、僕が小学生の頃だ。はじめて聞いたときにはなるほどうまいことを言うものだと思ったけれども、さすがにいまさら聞いてもたいした感慨もなく、この素敵な紋切型表現の来しかたを思う位だ。だいたいコップにはいった水をどう評価するかという複雑な問題をたったふたつの選択肢に代表させて、もっと複雑な人生を語ろうとするなんて傲岸不遜な話だと思う。

しかし近頃は、いろいろと考えるようになってきた。

  • そもそもコップなんてそこにはない。きっと熱にうかされているのだろう。
  • そのコップは清潔か。その答えによって今後の行動が変わる。
  • そのコップは売りさばけるか。その答えによって今後の行動が変わる。
  • 半分の水は飲んでしまったのか。もし飲んでしまったなら、水はコップから胃に移動しただけで総量の変化はないし、今後の行動に影響はない。
  • もしはじめから半分しか入っていなかったなら、今後の行動になんの影響もない。
  • 仮に半分はこぼしてしまったとしても、宇宙から見たときには地球上の水素と炭素の総量は変わっていないから、今後の行動にさしたる影響はない(かもしれない)。
  • そういえば最近は水を飲まない。
  • 花をいけるのにちょうど良いかも。

僕は幸せかもしれない。