2005-10-22

風邪をひいた

風邪と一言でいってしまうと風邪症候群や流行性感冒に申し訳ないが、風邪にはひくべき時分があり、それを逃してひくと、自他ともに居心地の悪い思いをする。大まかにいって、回りの誰もがひいていないときに風邪をひいてしまうのはよくない。夏風邪は云々というように、流行の最先端を突き進むひとは往々にして理解が得られないものだ。かといって遅すぎてもいけない。回りにぽつぽつと風邪をひいた経験者がいて、現在進行中の風邪をひいているひとがいるくらいがちょうどよい。

風邪をひいたら回りにそれとなく宣言をする。早く帰る口実として、また連れだって昼食にいかない口実として重宝する。適切な時分に風邪をひいたなら、付近の経験者が「今回の風邪は喉にくる」とかなんとか、風邪をひいた当人にはまったく価値のない情報をくれたりする。価値がないからといってこれを無視するのではなく、大切なのはここで共感を得ることだ。経験者・未経験者双方からの共感を得ればしめたもので、風邪の醍醐味を味わうことができる。

風邪の醍醐味とは、普段は靴べら程度の存在である我々が、あまり下におかれない特別な扱いを受けることである。早すぎた風邪では回りに経験者がいないためこの扱いを受けることは難しい。逆に遅すぎた風邪でも、既に皆にとって過去の出来事なので、悪いのは当人であるというほどの扱いになってしまう。

こうした意味では、僕はちょうどよいときにひいたものだと思った。なんといっても晩ごはんを作ってもらえたし、後かたづけもしないでよかった。

時分はさておき、風邪をひいてよかったところは煙草がまずくなったところだろう。無論まずくても吸うことには変わりない。

2005-10-20

山女魚など

同居人が川魚に疎いので、その話をしていたとき。

現在深山幽谷に住む魚は、どうやって各地に分布したのだろうかとふと疑問に思ったが、なんのことはない。海にいくだけだった。

しかし、一級河川でダムのない川はひとつしかないといわれるし(これは数えかたによっていろいろ変わる)、魚道があっても100%通れるわけではないし、おそらく放流などでしか分布が変わることはないだろう。分布が変わらなければ(いや、変わったとしても)、釣りを趣味としない人の食卓に岩魚がのるまでには、河川に対する政策やら何やらの抜本的な改革がなければならない。

僕は政治家でも研究者でも釣り人でもなく食べるだけなので、殖えてくれればそれにこしたことはない。放流などをめぐって思想的政治的やりとりがあるけど、小さなころから渓流魚を食べてきたひとにはそれほど関係なさそうなやりとりになっている感じ。

「食わせろ」という意見って、あまり大声ではいえないのかもしれない。

2005-10-14

誇大広告

食パンの一斤は軽すぎると思っていた。

尺貫法の一斤は160匁で、およそ600グラム。いま店頭で売られている食パンはそんなに重くない。誇大広告ではないかと気になったが、どうやら歴史的な経緯を経て(听と斤の漢字を混同したとか、舶来品用に「英斤=120匁」という計量の慣習があったとか諸説ある)、およそ1ポンド=450グラムで一斤というらしい。

それにしたって現代では、食パンの他に斤を使うのは、日常的にはカステラくらい。カステラやお茶はだいたい尺貫法の一斤に近い重さで売っているのに、食パンは特殊過ぎるのではないかと他人事ながら心配になってしまった(実際にはカステラは重さではなく標準的な大きさで「一斤」といっていることが多いように見える。まるで烏賊を一杯、兎を一羽、ざるそばを一枚と数えるように、カステラは一斤と数えるかのようだ。嘆かわしい)。ちなみにうちの近所のパン屋さんで売っている食パンは、300グラム強くらいしかないのではないかと疑っている。これなら誇大広告の疑い濃厚だ。

話は変わって、僕の上司は今後2ヶ月でおよそ5キロ痩せるらしい。5キロの内訳は新生児3キロ、胎盤1キロ、残りは羊水とのこと。上司のシルエットを使ってbefore => afterのチラシを作ったとしても誇大広告ではない。

2005-10-12

かびん

花をいけたりする主に陶製か硝子製の器のことだが、僕は「か」を強く発音する。タンゴ(音楽の形態)とかラジオ(無線放送)と同じ発音だ。

しかし昨日同居人がその器を買ってきて、「びん」を強く発音した。不倫とか指紋とかと同じ発音だ。

関東山間部で生まれ育った僕としては、正しく北関東方面の言葉を使いたいのだが、北関東出身の同居人とそこかしこで発音が違う。「いちご」「ぶどう」「ココア」「利根川」などなど。

すでにごちゃごちゃとバックグラウンドが入り乱れてしまった現代、これから成長したり言葉を覚えたりする人は、どうしたらその人なりの発音を身につけるのだろう。

(そういえばかつて愛読していた新明解国語辞典には発音の高低がのっていたことを思い出した)