2007-07-31

努力にも限度があると

自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする」というエントリがある。

思うに、これは自分に向かって言うならよいけれども、それを他人に言ってはいけないと思う。特に企業のトップになっている人は。

こういうことを言えるのは比較的心身が丈夫な人である。そのような心身の状態に持っていくのは、仕事をする上でとても大切なことだと思うけれど、それを自分で行うのと他人に言われるのではずいぶん違う。下手をすると受け取る側としては根性論に堕してしまう。

言いたいのは、努力にも限度があるということ。努力のできない人もいることを許容するだけの度量があってほしい、ということ。僕が怠け者だからそう思うだけではなくて、経験的に「ひとは結構すぐにダメになる」と知ったので断言できる。

ついでながら、この人の会社のガムをもらった。なんとなくもったいないのでまだ食べていない。

2007-07-21

都市伝説とか

『オルレアンの噂』をかつて興味深く読んだ。「口裂け女」の話とか興味深く調べたりしたこともある。そして昨今、ブログで都市伝説について言及されることが増えているという。

kizasi.jpで"ブログでささやかれる「都市伝説」"という特集がある。

単純にエントリーの中に「都市伝説」という単語がはいっているものを集めただけのようだけど、なかなか面白い。

・現代女性のお腹を解剖すると口紅で紅く染まっている
→消化の仕組みについて勉強しましょう。

・「天空の城ラピュタ」には別のエンディングがある
→映画編集作業というものを考えれば、確かにあるかも。封切り前とかに観たら別のエンディングがあってもおかしくないし、ディレクターズカットがあってもおかしくない。僕は観たことないけどね。

・時速120キロの風圧はおっぱいの感触だ
→それほど似ているわけではない。人それぞれだし。

・ハンバーガにミミズ(ネズミ、その他)の肉を使っている
→その方がコストがかかるでしょ。ついでに言えば牛肉でないほうが美味しいかもしれない。

・どこそこにカップルでいくと、別れる
→どのカップルも最終的には別れます。

・ケーブルが切れてエレベーターが落下しても、接地の寸前にジャンプすれば助かる
→落下し始めた階までジャンプできる跳躍力があれば確かに助かる。しかし接地の瞬間をどうやって確かめる?

というか、「都市伝説」と言う言葉が誤用されている(はっきりと定義されていないし)ばかりなことに憂慮する保守的な言語感覚の僕としては、嘆かわしい世の中になったと思います。

2007-07-16

亡き祖母のために

僕はいい歳ながら、祖母が亡くなったことを書く。30代男がおばあちゃんのことを書くことを笑ってほしい。

祖母はそもそもがお嬢さん育ちだったのだろう。地元有数の資産家で生まれ、三人きょうだいで育った。想像に過ぎないが、祖母の言動からよほど周りから大切にされて育ったように思える。

金銭感覚もちょっと変わっていた。例えば「茸を食べたいから山を買った」「孫が落ちるから池を埋めた」「葡萄を食べたいので葡萄園を作った」など、発想のしかたが僕とは違った。その山で遊んだり、池に落ちたり、葡萄を食べたのは僕だ。

活発かつ活動的な質で、昭和63年に祖母の夫が他界するまでは年中世界中に旅行していた。幼い僕はそのお土産や話を楽しみにしていたものだった。単に旅行をするだけでなく、地域での活動にも盛んに関わっていたようだ。

活発で押しが強いお嬢さん育ちというと、手におえない人に聞こえるかもしれないが、さっぱりとした性格で、明晰な頭と豊富な知識をもとに、あまりにもはっきりとものを言う人だったので、憎まれたりはしていなかったようだ。例えば僕が大学に入学するとき挨拶に伺ったが、そのときに「asm、女には気をつけなさいよ」と周りが驚くほど唐突にきっぱりと言った。それまでは早稲田文学の話をしていたのだ。

そんな性格だから、老いてなお女王様として家族とともに時を過ごし、多くの人を惹きつけた。もちろん祖母は自分の好き嫌いをはっきりと周りに伝え、他人が彼女のために何かをするのは当然のこととして威張っていた。

そんな祖母がある日突然「いいひと」になった。普段のことならば、祖母は食事を食べさせてもらうのが当然で、好きなものを食べるし嫌いなものは食べないから、周りとしてはバランス良く食べてもらいたいために祖母と衝突をし、祖母は怒ってばかりいたのだ。しかし5月28日の朝は何も文句を言わず、しかも「ありがとう」などと珍しいことを言ったという。

5月28日の朝は食事をしながら夢の話をしたという。夢の中では、故人も含めて親族皆でお祭りに出かけたという。お祭りは綺麗で賑やかで、とても楽しかったらしい。そして食事のあとに「ありがとう」といい、「これでゆっくり休めます」といい、その後に脳梗塞で意識不明になった。

治療という治療もせず、点滴と酸素供給のみでしばらく過ごした。度々見舞いにいったが、手も足もつやつやと娘さんのようだった。そんな状態が続いたので、秋まで「生きる」のではないかと話をしたりしたものの、7月13日に家族が見ている中でひっそりと静かに他界した。死顔は非常に穏やかで綺麗だった。

2007-07-12

バッハとマイケル・ブレッカー

僕はジャズ喫茶でアルバイトをしたことがあるくらいに、ジャズと呼ばれるジャンルの音楽が好きだ。それと同時に、現在はほとんどJ.S.バッハの作曲した音楽しか聴かない。そしてジャズの場合、コアな愛好家から白眼視されるがマイケル・ブレッカーの演奏を好む傾向がある。

かつてアルバイトしていたジャズ喫茶でのことである。お客さんが帰ってからひっそりと一人でチック・コリアの『THREE QUARTETS』のLPを聴いていた。そこにオーナー/マスターがやってきて、『こんなのはジャズじゃない』と怒られた事があった。それ以来、マイケルのファンであることをあまり口外しないようにしていた。

数名の人に尋ねられたことがある。どうしてジャズとバッハという変な組み合わせなのか、と。ジャズとバッハにはもちろん様々な共通点があり、音楽の三要素どれをとっても非常に良く似た傾向がある。しかし今日、もうひとつの要素に気がついた。

ジャズの中でもマイケル・ブレッカーのフレーズはポリフォニックなテクニックを多用する。そして云わずもがなのことながら、J.S.バッハといえばポリフォニー音楽である。気がついてみると単純な類似である。

2007-07-03

行列について

行列といっても数学の話ではない。ここ数年、行列をつくることがめっきり減った。僕自身が行列に並ぶことが嫌いだからというのが一番の理由だが、各種のサービス水準が高くなっているためではなかろうかとも思う。

以前は切符を買うのによく並んだものだが、現在はほとんど並ばないでも改札を通過できるし、スーパーなどではレジでの作業が単純化し、人員を流動的に使えるようになってきたため、買い物客は余り並ばないですむ。

それでも長い行列をつくることもある。浦安市の独立国内では非常に長い行列が観察できるし、「行列のできる」ラーメン屋や法律相談所もあるらしい。

そうしたところに行って行列の一番後についたとしよう。僕の個人的嗜好によるものかも知れないが、その時には非常に憂鬱なものだ。しかししばらくして後ろを振り向くと、自分の後ろに長い列ができているのを見て納得する。

これは道徳的な話だ。自分の位置を客観視する機会でもあり、仮りに先入れ先だし法ならば、行動には則るべき秩序があることを実感する機会でもある。とにかく先に行けばよい、というものではないのだ。