2009-05-18

知識の詰め込みについて

雑談です。

ある日、予定よりも早く仕事先に着いたので、駅のそばにあるドーナツ屋に入ってコーヒーを飲み、煙草を吸いながら本を読んでいました。そこでゆったりと楽しんでいると、隣のテーブルに座った男女が怪しげな話をしているのが聞こえてきました。盗み聞きするつもりはありませんでしたが、声の大きな二人の会話は店中に聞こえていましたし、その話し声で集中できないために僕は読書を諦めたのです。

どう見ても成人している女性(煙草を吸っていました)が、何のためだかわかりませんが英語の宿題があったようで、それを男性にやってもらっていました。男性はこんなに簡単なら一日もあれば楽勝、みたいなことをいっています。ところがその男性、"Dose you ~"とか、"You wants ~" とか問題を解きながらいうのですよ。"Do you wants apple ?"(その男性は"wants"が妙に好きなようです)の日本語訳を「あなたはリンゴを食べることができますか」といったり。男性は、こんなこと絶対日常会話ではいわないよな、といいます。僕も同感。「あなたのお母さんはピアノを弾きますか」などと聞くのは、かなり限られたシチュエーションだと思います。

他にも、相田みつをさんは知的障害者だとか、彼が四肢の麻痺のために口で書いていたとか、実に楽しげな話題です。山下清さんや星野富弘さんと混同しているのかな。

無知をあげつらうつもりはそれほどありません。別に外国語ができなくとも、日本の現状では生活に困ることは滅多にありません。しかし僕はスノッブな性向がありますので、多少は思うところもあります。まず外国語の初期の練習段階では、決まり事をひたすら繰り返して身につけなければ、おかしな口調になってしまいます。動詞や助動詞の変化は、論理的に何かが間違っているというわけではなく、単にその言葉が話されてきたこれまでの歴史ではそういわない、というだけの話です。それを無視するのは言葉とそれを使ってきた人に対して失礼というものでしょうし、そうしたところを間違えたまま話をすると聞き取りにくいばかりではなく、知性を疑われてしまったりします。たぶん通じますけどね。

次に日常会話でよく使う言い回しを練習しない理由ですが、基本となる型を練習するとなると、しゃちほこばった言葉になってしまうというのは確かにあります。それでも、例えば野球の基礎を練習するために素振りをしたりキャッチボールをしたりする理由と同じように、試合での動作を要素に分解して練習した方が効率がよいということを考えておくべきでしょう。僕もかつて同じ不満を持っていましたが、長じるにつれて必要なことと割り切るようになりました。かといって「それは本ですか?」「いいえ、これはリンゴです」というような例文はいまだに許容できませんが(指示代名詞の練習とわかってはいますが、本とリンゴを間違える人がいるのでしょうか)。

従兄弟が僕の出身高校に入学して、どうやら数学で出遅れてしまったとのことです。従兄弟はこれから色々なことを頭に詰め込むわけですが、ものを知ったからといって順風満帆な生活が待っているわけではありません。それでも僕はものを知らないよりは知ったほうが良かろうと思っているし、数学の初歩的な部分は理解してすすめるよりも身体感覚として身につけるようなものだろうと思っているので、ひとまず詰め込めるものは詰め込んでおけば良かろうと忠告しました。

僕の考えは価値判断でしかないので、間違っているかも知れませんし、人によっては通じないでしょう。しかし自分の子供を今後育てていく上でも同じような方針をとろうと思っています。

0 件のコメント: