2010-09-22

初夜・最善世界・禁煙脳・面接

近頃読んだ本について、コメントを。

初夜』(イアン・マキューアン)
すごく圧倒されました。ついつい長く語りたくなってしまう本書は、1960年代初頭に、お互いに童貞と処女として結婚をした二人の、結婚初夜数時間の話です。出来事はその数時間のみなのですが、心理的な描写が非常に綿密に、そしてその心理を形作る過去がゆっくりと語られていました。

彼らは若く、教育もあったが、ふたりともこれについては、つまり新婚初夜については、なんの心得もなく、彼らが生きたこの時代には、セックスの悩みについて話し合うことなど不可能だった。いつの時代でも、それは簡単なことではないけれど、彼らはジョージアン様式のホテルの二階の小さな居間で、夕食のテーブルに着いたところだった

時代の心理とでも言うのでしょうか、この年代の人たちの青春記を読むと、性の問題というのはひどく滑稽に見えます。振り返ればほぼ現代の僕だって充分滑稽なのですが、輪をかけて喜劇的です。以前読んだ、1960年頃に自殺した大学生の手記みたいなものにも性の悩みが語られていましたが、若年者の性の悩みは他人や経験を経た人からは理解しがたいところがあります(北方謙三さんに人生相談すれば、「ソープに行け」ということになるのでしょうね)。それでもその時の悩みや喜劇がその後のあれこれをがらりと変えてしまうという恐ろしい領域が、きっと性というものなのでしょう。喜劇なのだけれど、時を経て俯瞰し、その滑稽さに気づいたときにはすでに重大な変化を経てしまった悲劇になっている、そんなもどかしさや怖さを感じました。

性の話だと男女ともにどうしても語りにくいものが含まれますので、語りにくいことをグラデーションのように並べて、自分の抱える問題について検討したらどうなるか、そしてそれが時とともに語りやすくなったり語りにくくなったりしたらどうなるか。そんなことをついつい考えてしまいます。また、本書の「事件」の後は男性主人公の視点から語られていますので、女性主人公がどのように振り返ったかは分かりません。

数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ』(イーヴァル・エクランド)
数学的なところを読み飛ばしても面白い本です。原著のタイトル(直訳すると可能な限り最善の世界)が表すように、数学に限らず「最も良い世界」について論考しています。はじめは神様やイデアの領域で世界が不完全なはずはない、あるいは不完全に見えるならば、それは悪い中でも最もましなのが現実世界であるというところからはじまります。しかし近代を経て神様が退却して世界創造の主人公は物理学にバトンタッチしますが、そこで物理的にもっとも「よい」道をたどるのが現実であるという話がうまれます。言ってしまえば「最小作用の原理」ですが、これは数学的(あるいは物理的)に間違っていることが説明されます。ならば数学的な世界ではなくて生物学的な世界や経済学的世界は、目的論的にではなく結果論的に最善のものを実現するように動くのではないか、という議論が行われます。

ウィトゲンシュタインの「世界とはそうであることの全てである」という言葉を思い出しました。自然界には最適化とか作用の最小化とかの意志は入り込めません。そこで人間社会のよりよい状態を夢想しても悲観する必要はない、というのが著者の個人的結論です。近代以降の科学が方法論として確立してきた、観測事実に基づいて論証する合理主義にはまだ最善世界へいたるための余地がある、という結論には大いに感服します。もっとも著者に言わせれば、こうした理性を信頼する態度も信仰の一形態だということですが。

目次
はじめに
第一章 時を刻む
 振り子/正確な時刻/計測の道具
第二章 近代科学の誕生
 オッカムの剃刀/機械としての世界/ライプニッツの見方
第三章 最小作用の原理
 屈折の法則/フェルマー対デカルト主義者/デカルト物理学対ニュートン物理学――モーペルテュイ登場/最小作用の原理/最小作用の原理の数学的発展/目的因論的説明の終わり――科学の役割
第四章 計算から幾何へ
 運動方程式は解けるのか?/因果列/ビリヤード――円形または楕円形の場合/ビリヤード――一般凸型の場合
第五章 ポアンカレとその向こう
 ポアンカレ/方程式を解かずに解を見つけるには?/古典力学の不確定性原理
第六章 パンドラの箱
 最小作用の原理の微視的根拠/時の矢
第七章 最善者が勝つのか?
 自然淘汰/偶然の役割/ゲーム理論
第八章 自然の終焉
 構築すべき世界/最適化のアイデア/社会組織
第九章 共通善
 社会的選択の理論/個人の利益と共通善
第十章 個人的な結論

脳内ドーパミンが決め手「禁煙脳」のつくり方』(磯村毅)
禁煙しようかなと思って読みました。しかしまだ僕は煙草を喫っています。恥ずかしながら。

ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?』(ウィリアム・パウンドストーン)
再読です。本書の半分以上は論理パズルの紹介です(僕は論理パズルが好きなので、楽しく読みました)。残りのわずかな紙数で、知能を推測することの意義や可能性について論じられていた記憶があったので再読したのですが、大して面接試験を行う上での参考にはなりませんでした。

少し前に流行った「フェルミ推定」とか論理パズルとか、受ける方も採る方も、座興以外に面接で役に立つのでしょうかね。論理パズルなんて長い歴史がありますから、多くのパターンを練習すればあまり悩むことなく形式的に解ける(つまり記号化して操作することができる)ものがほとんどですし、フェルミ推定については(元の意義はともかく面接場面では)推定する力ではなくて適切なストーリーをこじつける力が問われているように思えます。それにしても面接って難しいです。

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