2010-01-08

『ブリッジブック社会学』

ブリッジブック社会学』(玉野和志編)を読みました。大学一年生向けの教科書みたいなものなのです。

この本の執筆者の一人である友人に会ったときに「あの本、おもしろい?」と聞いてみたところ、曰く「僕の書いたところはおもしろい」と、ずいぶん大きく出たものでした。それならばひとつ読んで、からかってやろうと手に取りました。

読んでみると、友人が格好良すぎて惚れました。日頃から量的調査や数理モデルばかりにこだわる社会学者を毛嫌いする発言をしている彼なのですが、彼の面目躍如とでも言う内容で、大学一年生に読ませたら少し毒になってしまうのではないかと思わせるほどです(僕は量的調査や数理モデルが好きですし)。とにかく友人の言ったことは本当でした。

もっとも素敵だと感じた一文を引用します。

数量化すれば自動的に客観的で科学的な社会学になるわけではない。何より、「数える」ことそれ自体が、日常的な行為理解に論理的に依存している。自殺率を調べるためには自殺を数えなければならないが、そのためには自殺とその他の死が区別されていなければならない。そして、その区別の理解可能性を支えているのは、決して数字ではなく、社会生活のなかで「人の死」に直面したとき、その原因や理由、意図や動機を理解する人びとの実践なのである。このことを忘れて、人びと自身による行為理解から切り離された数量化を行うなら、それは決して社会生活の科学にはなり得ない。


本書全体で言えば、近頃流行りの教科書のように社会学的な概念や理論を使って現代社会をどう理解するかという体裁をとらず、オーソドックスな学説史のように有名社会学者をほぼ順番に紹介しています。特徴的なのはマルクスによる近代社会(資本主義社会)の悲観的な観察をどのように乗り越えられるのか、という問題意識(本当にあったかどうかわからないですね)をヴェーバー、デュルケム、ジンメルが理論・方法論として確立したものが社会学の源流で、社会学に共通するものの見方なのだ、という大きな図式が提示されていることです。その三者を批判・継承しつつ、パーソンズ・シュッツ・ガーフィンケル・ゴフマン・ルーマン・ハーバーマス・ブルデュー・ギデンズといった社会学者の流れを解説しています。

社会学のわかりにくさとおもしろさは、対象が他の学問領域と同じということがあげられると僕は思います。研究対象が同じでもどうして一つの学問領域として成り立つかといえば、研究方法や対象への視座が違うから、というわかったようなわからないような説明がよくされますが、本書はその視点をうまく説明しています。つまるところ、法・経済・文化・宗教といった社会的構築物(これは僕の言い方であり、本書ではこんなに無防備な言い方はしません)によって人間の行為が決定されるわけではなく、必ず行為主体の主観的実践が含まれ、それが社会的構築物を所与のものとしつつそれらに影響を与えていく、ということです。おそらくこれは編者の主張なのでしょうが、本書は一貫してこのスタンスから学説を紹介しています。

それぞれの社会学者が、どのような社会環境で、どのように先人の学問とつながり、どのような問題を解決するために研究をし、どういう成果をみたか、といったところに重点が置かれているので、学説がどのようなものだったのかということには詳しくは触れられていません。ですから公務員試験の「社会学」などには読んでもまったく役に立たないでしょうが、社会学に興味のある大学一年生向けとしてはとてもよくできている本です。ただし、とある章は他とのつながりも薄く、本書全体の流れを幾分断ち切っていると思いました。

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