2010-10-08

バイエルが楽しい

今週はまだ一冊も本を読み終えていません。『憂鬱と官能を教えた学校』を読んで以来、キーボードで遊びまくっているのです。

ここのところ仕事で大きなプレッシャーを感じていたり、子どもが入院・手術をしたのでその付き添いをしたり、スケジュールがてんこ盛りだったりで、くたくたになっていました。そんなこんなで、配偶者と僕が楽をする目的で、子どもを連れて実家に行きました。家事や子どもの面倒を僕の両親にお任せして、とにかく楽をしているうちにちゃらちゃらとピアノで遊んだら、時間の感覚がなくなるくらいに集中できて、しかも気持ちがよいのです。

はじめはコードとスケールの確認と思ってぽろぽろとやったり、子どもと一緒に「かえるのうた」とかの童謡を歌っていたのですが、
・配偶者はピアノを弾かない
・子どもが今後楽器に触るとしたら、ピアノかな?
・積んである楽譜のうち、一番手軽に弾けるもの
とか考えて、懐かしのバイエルを開いたところ、バイエルってとても楽しくて美しいことに気がつきました。よく聞く話では、バイエルは音楽性が乏しいとか、ピアノのレッスンが嫌いになる子どもはバイエルを苦痛に思うとか言いますが、どうしてなんでしょう。音数が少ないとか、響きもメロディもシンプルとか、親しみにくいとか、いろいろ理屈は思いつきますが、美しさってその曲をさらう難易度には比例しませんよね。ちなみに「さらう」という表現で、音楽的というより機械的な表現を僕は意図しています。さらえるのと演奏できるのは別物で、僕にバイエルを演奏できる自信は今のところありません。

僕が好んで聴くJ.S.バッハのアリアの中には、すごく簡単にさらえる曲もあります。スヴャトスラフ・リヒテルの演奏する平均律クラヴィーア曲集とか、残響のせいかゆったりした曲が本当に素晴らしいのですが、そうした曲は楽譜上ではすごく簡単なものもあります。バイエルをさらってみると、そんなのを連想させてくれました(もちろん僕がリヒテルのように演奏できるわけではありませんし、バイエルはバッハではありません。あくまでイメージです)。

僕がメインでいじる楽器はあくまでもサックスで、ピアノは実に拙いものです。心が痩せてしまったときにサックスを練習すると僕はさらに落ち込む傾向がありましたが、そんなときに苦手な楽器で単純な曲をやってみると、リフレッシュできるのかも知れません。こういう感覚ってなんなのだろうなと考えてみると、「お、僕って結構やるな」という自画自賛とか自惚れとか、そういうことなのだろうなと思いました。楽器はついつい自分に厳しくなってしまいますが、苦手な楽器なら大目に見ますし、単純な響きの曲なら素直に綺麗だなと思えます。よく触っている楽器で単純な曲をやっても当たり前とかもっと上手にという感覚がつきまとってしまうのですが、苦手な楽器だとそれも許せそうです。

もっと指がこなれたら、落ち込んだときに「悲愴」の第2楽章あたりに手を出してみようかと考えている僕がいます。紋切り型表現としては「悲惨」になるはずです。

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