2010-10-28

えっち・アダルト

ふとした気まぐれで『ぼくたち、Hを勉強しています』(鹿島茂、井上章一)を読みました。どうでもよいような中年男性の猥談(自称「性談」)をアカデミックにしたようなもので、「ワイセツ」ではなく「えっち」で、しかも全然エロくない。直接的な表現がないのはおじさんたちがアカデミズムの世界にいることと、はっきり言ってどうでもよい矜持があるためでしょう。目的意識としては、おじさんたちだってモテたい、というところにあろうかと思います。

ある部分には女性から「冗談ではない」といわれそうなところもありますが、ざっくり読んでしまえばパンティと歴史の話、旦那衆が性文化を支えてきた話、かつて文化的な幻想がモテ要素になっていた話、出会いの場所や手段の話、Hをする場所の話など、「ふむふむなるほど」と楽しく読めます。性について大まかに語るとき、垂直的比較つまり歴史と、水平的比較つまり異文化の二軸でものを見るのは素敵なやり方ですが、それを雑談風にできるのも、碩学たる本書の著者たちが積み重ねてきた教養によるもので、読んでためになることは確かです(内容がためになるというわけではなく)。

だからといって読んでもモテるようにはならないと思いますよ。僕もモテたい。

その流れで『アダルト・ピアノ―おじさん、ジャズにいどむ』(井上章一)を読みました。これもまたどうしようももないような内容で(貶しているのではありません。絶賛しているのです)、モテるためにピアノを弾けるようになりたいという野望にとらわれた著者の奮闘が記されています(著者はライブハウスで演奏する腕前にはなりましたが、モテるようになったかは不明です)。

なかなか苦難の道だったようです。いわゆる正統的ピアノ練習を経ることなく、ひたすらにジャズピアノ(やカクテルラウンジピアノ)を目的としたために、クラシック畑の人から見れば指使いがおかしいと指摘されたり、はては指や腕の痛みや痔の発症があるなど。他人の苦難は蜜の味です。この苦難の道は最短ルートだったかと考えれば、決して効率よい練習だったとは思えませんが、「いまさらバイエルなんてやってられるか」という変な意地が「モテたい」という野望と相まってもう一つの柱となっているので、これでよいのでしょう。ピアノ教室に通い、美しいピアノ講師とおしゃべりするという安易な道は採らなかったようです。

しかし、大人の趣味としてピアノを演奏するなら別に正統でなくとも良いですし、ポピュラー音楽にはある種の大雑把さがありえますので、それでよいのだと割り切れます(僕だったら痛いのはいやですけどね)。変な癖があるのもその演奏の個性ということです。で、ピアノを弾けるようになるとモテるのかというと、これもまた疑問です。老人になったときにモテるかも知れません。

楽器をはじめる動機として、有名なジャズフルート奏者であるデイブ・バレンタイン(Dave Valentin)のことを思い出しました。10年以上前のジャズ雑誌(「スイングジャーナル」か「ジャズライフ」)でインタビューに答えていたのですが、彼がフルートをはじめたのは、気になる女の子がフルートをやっていたからだそうです。それでフルートをやったらモテたかというとこれは聞くも涙で、はじめの頃はいい感じにつきあえたのですが、彼がどんどん上手くなってその女の子を圧倒してしまったために、嫌われてしまったというのです。

楽器を演奏する男性諸賢は身に覚えがあることでしょうが、楽器をはじめるにあたってどこかで「モテたい」と思ったことがない人のほうが少数派でしょう(僕は男性なので、女性のことはよくわかりません)。でも冷静に考えればことは楽器に限らず、なにかに打ち込む姿は人によって「モテる」のですから、仕事でも趣味でも子育てでも、大いに下心を基礎にして打ち込めばよいと思います。僕もモテたい。

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