2009-06-30

定本ハナモゲラの研究

定本ハナモゲラの研究』を読みました。読み終えた僕は多いに影響を受けたので感想をハナモゲラで書いてみようかとも思いましたが、僕には難しすぎる言語で操ることができません。

 けめせ奸穴のひらまけてはなく、媾翫に猥ぬられた。
「みねはれたか。け」
 そも婢のらけてか。起てか。妖奮の濡れ子の陰たまままちばけると、淫実にか核かとけめた。ほのめらかんだ妖むらかんだ媚の襞そろれはけて嬉桃亀の嬌は紅姦の臭いられにまとらないぞ。

筒井さんによるこの文は「どうにかポルノであることがわかる程度であって、自己完結性はあるものの詳細が理解できる読者は少ない」ということです。ハナモゲラ文学は日常言語へ回帰することなく虚構内で自己完結しなければならないといいますが、なにがなにやら。こうして遊んでいるぶんには面白いのでしょうけど。

ポーランドに旅した際、日本語の至極堪能なるガイドのハンナ嬢に
 さてました ですかここゆく もしあんな なんじくるする ささそれするか

この三十一文字は「もろすどおしの法」を駆使して詠まれているそうです。これくらいなら何となく鑑賞できますが、

ピットインの五日間。多くのゲストを迎えて演奏した際に
 あまがする かえるのこぎる あほもいる らんどりすぐる もけてふやけば

となると僕の鑑賞能力を超えています。この歌は枕詞に似た「ぴろづみの法」を使っていて、はじめの二十九文字が「けば」にかかるとのことです。

坂田明さんによれば「ハナモゲラの精神は口からほと走り出てくる即興にある。わかりやすく説明するならば、フリー・ジャズの方法論に基づく、出鱈目とシリアスとの相克の間隙を縫って傷だらけになってしまう覚悟が必要なのである」とのことですから、ジャズなのですね。

ジャズのアドリブ演奏について話をすると、頻繁に言語のアナロジーが使われます。イディオムだとかシラブルだとか、はたまた演奏を会話のように喩えます。ハナモゲラもそのようなものの発展型なのでしょうか。

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