2009-12-09

腐っても鯛(の骨)

雑談です。今日は生家にお邪魔しているのですが、晩ご飯はエボダイ(西ではボウゼとか全国的にはイボダイとか)の干物でした。「エボダイは鯛なのか」という父の疑問から話が発展して、「腐っても鯛」の話になりました。

僕は小学生の時に「腐っても鯛の骨」と教わりました。腐ったとしても鯛の骨は硬いまま残るという意味で、優れたものが表面的にはだめになっても、芯には優れたものが残るということを表すそうです。小学生の時の記憶なのですが、それを家に帰って話したら「腐っても鯛」だと母からバカにされたのです。意味は腐ったとしても品格が残るということで、没落貴族とかに使うのだと。それ以来僕も「腐っても鯛」と使うようになりました。

その話を今日混ぜ返したら、やっぱり母は「腐っても鯛の骨」とはいわない、とのことです。ここで僕が思い出したのは、北大路魯山人の何かで、「腐っても鯛というけれども、それはとんだ了見違いである。季節外れだったり活きがよくなかったりする鯛は、新鮮な鰯に遙かに劣るのだ」というようなことが書かれていたことでした。それもなるほどと思うので、「腐っても鯛」より「腐っても鯛の骨」のほうが理屈には合っているなと思うのです。ことわざ辞典とかをひいても鯛の骨は出てきませんが、腐ったらやっぱり品格も何もないと思うし、骨はやっぱり硬いと思うのですよね。

父は「腐っても鯛」「腐っても鯛の骨」の両方使うようでしたけれど、どうなっているのでしょうね。ちなみにエボダイはスズキ目・イボダイ科でした。

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