2009-12-25

核兵器廃絶都市宣言

雑談です。

クリスマスに"Happy Xmas (War Is Over)"を聴いて思わず涙ぐみました。それのついでで思い出したのですが、大小いろいろな自治体が掲げている「核兵器廃絶都市宣言」っていったい何なのでしょうね。以前から気にはなっていたのですが、オバマ大統領のノーベル平和賞のように、実態が全くわからないものだと思っていたのです。

Googleで検索して上位に表示されたものを引用しますが、川崎市の核兵器廃絶平和都市宣言だと、

「真の恒久平和と安全を実現することは、人類共通の念願である。」
人類が本当に平和を実現しようと思ったのか疑問です。人類という規模で平和を実現しようとした時代は僕の知る限りありません。

「しかるに、核軍備の拡張は依然として行われ、人類の生存に深刻な脅威を与えている。」
人類は核軍備以外の原因でも生存に深刻な脅威を与えられています。人類という規模ならば、核軍備などよりもむしろ貧困の方が問題でしょう(貧困と平和はかなり密接な関係がありますが)。

「わが国は、世界唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを声を大にして全世界の人々に訴え、再びこの地球上に広島、長崎の、あの惨禍を繰り返させてはならない。」
まったくですが、川崎市が声を大にしてもあまり説得力がなさそうですし、川崎市が「わが国」のなすべきことを決めてしまってよいのでしょうか。

「このことは、人類が遵守しなければならない普遍的な理念であり、我々が子孫に残す唯一の遺産である。」
唯一の遺産とはずいぶん大きく出たものです。「このこと」の範囲が不明ですが、普遍的な理念でもなければ唯一の遺産でもないでしょう。

「川崎市は、わが国の非核三原則が完全に実施されることを願い、すべての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮を求め、国際社会の連帯と民主主義の原点に立って、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに核兵器廃絶平和都市となることを宣言する。」
目標となる状態を実現させるために何をするかが政策というものと思われますが、ここではいくつもの状態が提起されているので、読む方としては困ります。結局のところ「世論を喚起する」だけが実質的目標なのではないでしょうか。

いくつかの自治体の宣言を眺めたうえで言えば
  • (自治体が)核兵器を持たない宣言をする
  • (世界中で)核兵器を持たないよう求める
  • 核兵器を存在させないよう(自治体の)住民を啓蒙する
というあたりが共通項のようです。核兵器廃絶をする主体は自治体なのかというとそうでもなくて、国や世界全体に対しても物申すような宣言ぶりです。よくわからないのは、それでは核反応の研究機関は設置してもよいのだろうかとか、兵器以外の用途で核反応を利用することはできないのだろうかとか、核兵器を運搬してもよいのだろうかとか、自治体に管理責任のない土地に核兵器を保管してもよいのだろうかとか、訳がわかりません。それに宣言をした地方自治体が独自に核兵器事業を行うなど予算的に考えにくいですから、地方自治体の仕事だとは考えられません。啓蒙だって「核兵器を廃絶しましょう」と言ったところで、どれほど実効があるかわかりません。

そもそもその宣言で平和をうたうことが多いのですが、核兵器の有無と平和とは関係はありません。平和を願うなら平和宣言にすればよいでしょう(それも意味のなさそうなことですが)。

効果のほとんど期待できない事業と見えるのですよね。情緒的に反対しにくいですが、無駄な労力だと思うし、生物兵器や化学兵器の扱いはどうなのかとか考えると核兵器に限定する理由は情緒的なものでしょう。この宣言のおかげで誰かが得をするのかも知れません。

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