2008-02-21

創造的資本主義

B・ゲイツ氏の「創造的資本主義」は世界にとってプラスか?という記事を読んだ。「創造的資本主義」とは大雑把に言うと、善意の企業リーダーたちが、社会的貢献度の高いもの(例えば地球レベルでの資源問題や、地域間格差のある人材問題の解決を試みるなど)であれば、不採算プロジェクトであろうともお金を出していこう、というものらしい。

ところが、アメリカでは税制上の理由もあり、寄付(非課税になるとか)が盛んだ。これは数学的民主主義的な目から見れば、多数による社会貢献である。一部のリーダーが支援する対象を決めるよりは、無数の目による支援のほうが妥当ではないか、というのが一点。

第二点に、企業活動そのものは社会貢献ではないか、という意見が出されている。確かに企業存続のためには、ステークホルダーに何らかの利益をもたらさなければならないだろう。そしてステークホルダーたちは第一点のように、個々人で寄付をする。ということはつまり、企業が利益を追求することが創造的資本主義の求めるところと同じなのではないか、というような話。

そしてさらに、

貧しい国がいつまでも貧しいのは、そうした国の政府が堕落していて民主主義的でなく、民衆を抑圧しているからだ。そうした国では財産権が保証されず、起業家を目指す人々が家を担保にして資金を借り受ける機会が失われている。裁判のシステムは機能しておらず、個人どうしで契約を結ぶことが制限されている。外国からの支援金は、堕落した役人によってスイス銀行の口座に隠される(スイス銀行の秘密口座に隠された金額は、サハラ砂漠以南のアフリカだけで、2005年には約1500億ドルあった)。そして、食料援助は国内の農作物の価格を下落させ、地元の農民を苦しめる。
と書いている。

単なる支援活動と「創造的資本主義」とをない交ぜにしている感もあるので、著者の意見には賛成できない。まずは寄付が盛んなのはアメリカの税制に由来するもので、ほかの国に当てはめていうことはできない。そして寄付や支援に多くの人の目が集まっても、その多くの場合は小規模あるいは短期的なプロジェクトとなりがちである(僕の独断だ)。また多くの人の目を集める方法についても疑問が残る。マスを対象とする情報伝達には、僕は基本的には不信を持っているし、個々人が独立して情報収集できない限りは、マスを主体とした意思決定は多くの場合は「衆愚制」となる(僕の独断だ)。

例えば従業員10,000人の会社で、10,000人が独立して活動するのと、会社がイニシアティブをとって活動するのでは、リソースが圧倒的に違う。きちんとした方向にそのリソースを振り向けることができれば、個々人で活動するときよりは成果は大きいだろう。そして卑近な話だが、成果が大きければ個々人の自尊心だって満たされやすくなる。

また政治機構が堕落しているからだ、という主張に対しては、それをどのようにすればより幸福の総量が多いものにできるかという問題に答えるものではないし、「創造的資本主義」であろうがなかろうが支援することはできる(あるいはできない)。

僕はビル・ゲイツ氏の思い描く未来像に賛成をしたい。

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