2007-12-01

これはひどい

はてなブックマークで「これはひどい」というタグのついたものを興味本位で眺めていた。どんなものがひどいのだろうと気になったためだ。その過程で非常に胸がふさがる思いをした。

前回の参院選で、在日韓国人2世で障害をもつ候補(彼は日本国籍を持っている)が出馬した。彼の出馬に反対する人が多数いる、ということは想像に難くないが、その根拠がいかにも嫌悪感まるだしなものであることに嘆かされた。事実は事実(それが誰にとっての事実かは多少違ったりするが)として、候補者は候補者として判断するべきであると僕は考えている。僕は彼と直接話しをしたことがあるし、彼の人となりは多少ならわかっているつもりだ。その上で、彼を批判する根拠が薄いと思った。

根拠薄弱なうちに批判(誹謗と呼んでもよいくらいだ)することは多々あることだ。確かに在日韓国・朝鮮人への日本政府の対応はいろいろと問題があるし、さまざまな利害関係もある。在日韓国・朝鮮人が一方的に優遇されることはおかしいと思うし、障害者が全面的に何不自由ないレベルまで支援されることもおかしいと思う。それにしても現状では一部の例外を除いて、圧倒的に不利な状況に彼らがいることは少し調べればわかるような気がする。もちろん一部の例外はいるが、その例外をもってすべてを語ることは蒙昧としか言いようがない。

また批判する人たちの脊椎反射的な批判には、日本の国政は日本の利益につながるような人を、というようなものが多かったが、ほかの帰化した候補者に対するそのような批判は寡聞にして聞いたことがない。日本と東アジア一部地域の関係に問題があることは承知しているが、それ以外にも何か妙に感情的な問題があるとしか思えない。

話は飛ぶが、人種とは外見と歴史的背景を根拠にした社会・文化・政治的概念であって、生物学的事実とは違う。DNAを調べてみれば、僕(ちなみに祖先は10代以上前から北関東に住んでいた)と配偶者との差と、僕とその候補者との差には有意な違いは見られないだろう。人種差別で有名なヒトラーでさえ、科学的な意味では人種など存在しない、ということをわかっていた。国家間の関係は国家間の関係として、人種間の関係はとりあえず考えないほうが無難である。

僕は理性を根拠は薄いながらも信頼していて、相対主義をあまり信頼していない。理性の代替物であるようなもの、例えば神性、精神、感情、直感、欲求などだが、それらはいずれにせよ暴走の可能性がある。反証の可能性を常に残しておいた理性は、それらに比べると暴走の可能性は少ないだろう。理性的な判断は確かに間違うかもしれない。しかしその間違いの程度は理性的ではない場合と比べると小さいだろうと信頼しているし、いずれよりよい判断ができるだろうと信頼している。

理性的に判断して、低所得者層あるいは低年齢層にとって、どのような候補者がもっとも自分の利益を代弁するか、という判断をするなら、在日韓国人2世の障害者を誹謗する理由などないに等しいと思う。

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