2007-12-05

単なる道具としてのブログ

そもそもブログはだれが何のために書いているんだろう--消化局面が見えたブログ界というCNetの記事があった。

記事いわく、ブログの数は増えているものの、収益をあげている数は非常に少ない。筆者はブログの種類として、職業としてのブログ、趣味のためのブログ(少しの収益で足しにする)、政治や宗教などの思想信条のためのブログ、自己表現のためのブログ、スパムブログとあげている。

結論では

では、ブログ界では何が起ころうとしているのだろうか。今後も現在の成長率を維持できるのだろうか。職業的ブログの成長は続かないだろうが、ブログ界全体は成長を続ける可能性が高い(少なくとも、スパムの量が増加していくだろう)。しかし、変化が起こる可能性が高い。ブログ界のロングテール部分は危機にあるかもしれない。スパムはその危機の一部に過ぎず、むしろソーシャルネットワークやマイクロブログプラットフォームとの競争が大きく影響する。どうなるかは時間が経たないとわからないだろう。

読者がブログを書いている理由を教えてほしい。読者にとってお金は重要だろうか。ブログ界の未来はどうなると思うだろうか。ブログ界は消化局面に入ろうとしているのだろうか。
と締めている。

自分がブログ(?)を書く理由は自己満足 + 知人への生存報告だが、そもそもブログ界を意識したこともなく、収益もない。それほど他人の目にとまらなくともよいと考えている。それなのになぜブログを書き、他人様に害毒となりうる情報を垂れ流しているのか。なぜSNSをメインにしないのか。なぜマイクロブログを使わないのか。

コミュニケーションツールとして手紙、電報、電話、電子メール、IMなどと、どんどん各シチュエーションに応じた選択肢が増えているが、情報発信のツールとしては静的HTMLサイト、ブログ、SNSもその流れの中に入ると思う。現在メールは古くなりつつあり、IMの利用のほうが増えているそうだが、そうはいってもメールは依然として使われる。音声通話だってなくならないし、たまには肉筆で手紙も書く。どれかのツールしか使わないなどというのは、偏ったライフスタイルを送っている証拠だ(偏っていて普通だと思うが)。

同じように、より簡易な情報発信を好むならマイクロブログを選択するだろうし、よりコミュニケーションに注視するならSNSを選択する。より凝ったことをしたいなら自分でサーバを立ち上げてアプリケーションを作る。その人がどのような情報伝達ツールを使うかという選択は、その人の情報生活がどのようになっているか、ということとほとんど同義だ。

今後日本ではSNSの情報が外部に対して開かれていくと僕は想像している。また僕は、SNSの情報を発信する機能に関しては現状では不満がある。また自己表現や社会に開かれた活動を通じた個人のアイデンティティの形成は、より流動的かつ活発になると予想している。

ブログは単なる道具である。それは電報と同じようなもので、ほかの何かに取って代わられる可能性もある(特に日本語のサービスを提供しているSNSが外部に対して開かれるなら、それはブログを飲み込む可能性が高い)。しかし愛好家は残るだろうし、定着もするだろう(いまだにIRCを愛用している人もいるのだし、アマチュア無線を利用している人も多い)。適材を適所に使うだけのことだ。それ以上の何かを求めるのは、ブログに対して何かの幻想を抱いているだけだ。

道具には幻想を抱きやすい。そもそも道具というのはそこにあるだけでは意味も何もないくせに、人がそれに対面したときに何らかの意味を付与して価値を作り出す。価値を創造する行為を一般には持ち上げる傾向があるが、価値は創造されるだけではなく捏造もされる。ブログに対して価値を捏造していたのなら、適切な価値にまで引き下げられるだろうし、そこにあるだけのものとしてみるならば今後も変わらずそこに(同様のサービスは)あるだろう。

0 件のコメント: