2007-12-27

「寂しさ再生産」再び


12月24日近辺のmixi.jpと2ch.netのページビューを比較してみた。24日のページビューは決して落ち込んでいないどころか、むしろ増えている。2ch.netはいつもどおりだ。寂しい人間が多いのだろうか、それともネット上での誕生祭というスタイルが生まれつつあるのだろうか。かつていわれた(そしてあまりいわれなくなった)「寂しさ再生産」について考えた。

携帯電話のコミュニケーションは、用を足せればそれでよいというものではない。もちろんこれは携帯電話に限った話ではなく、ほとんどすべてのコミュニケーションが実利一辺倒ではない。ビジネスメールでさえ、相手のことを持ち上げたり簡単な挨拶をしたりする。歴史的に見れば中世の手紙など、風流の極致だ。

しかし携帯電話やIM、SNSに代表される今日的なコミュニケーションツールが特徴的なかたちをとっているのは、即時性(レスポンスの速さ)と限られた人との短く単純な情報を頻繁にやり取りすることである。それが音声情報であれ文字情報であれ、話は同じことだ。

対面的なコミュニケーションはそうした情報のやり取りの延長線上にもある。自分の人間関係を広めようという人にとっても、またごく限られた人との密接なコミュニケーションをとろうという人にとっても、それはそれで使い道のあるものだろう。そして情報のやり取りが緊密になるほど、そのノード間の情報はより流れやすくなる。まるで細い水の流れがあるものは消え、あるものは川になるように。あるいは神経細胞がシナプスを介して接合し、使う神経回路を残して使わない神経回路を除くことによってシグナルが伝わりやすくなるように。

この結果、寂しいがゆえにコミュニケーションをとったところ、より密接なコミュニケーションによって充足されることなくさらにコミュニケーションをとりたくなる。言い方をかえると「つながり」を維持したくなる。僕にとってのタバコのようなものだ。

こうしたツールを使うと、「選択的な友人関係」が見出せるということが報告されている。コミュニケーションは広くも狭くも、浅くも深くも、接触可能な人が増大することにより、友人関係を重要度に応じてランク付けしたり状況に応じて使い分けることができる。こうしたことがいわゆる「寂しさ再生産」の話だ。

今後のSNSでは仮想社会・実社会との連携がキーポイントになる(と僕は予想している)。実際アメリカでは「クリスマスソーシャルネットワーキング」ということさえ言われた。アメリカの流れがそのまま世界の流れになるというのは腹立たしいが、おそらく日本ではアメリカの流れを追従するだろう。ショッピングはエンタテイメントである、とは楽天のキャッチフレーズだが、贔屓目に見ても楽天のショッピングはエンタテイメント性とはまだまだ距離がある。その距離をSNSなどのコミュニケーションツールを使って埋めることになるだろう、というのが僕の予想だ。

ショッピングに限った話ではない。12月24日にmixi.jpへのアクセスが減らなかったところを見ると、寂しさ(あるいは暇やコミュニケーション欲求)を解消するツールとしてのmixi.jpは健在であると、とりあえずいえるかもしれない。そのコミュニケーション欲求を仮想社会や実社会でどのように満たしていくか、SNS業界は課題としても良いだろう。

0 件のコメント: