2007-12-17

ブログに派閥を

CNET Japanのブログには(あるいはブログには)派閥を導入したほうが良いというポストを読んだ。

CNET Japanブログもそういう派閥を作った方がいい時かもしれない。読者ブログは、150ほどあると今日のアワード表彰式で知ったのだが、とても覚えきれる数ではなく、コミュニティとしての一体感を持ちにくい。

もしくは、外部ブログに書いてもいいのだが、その時にも何かのブログネットワークを作って共同でRSSを購読できるような仕組みを提供できれば、読者獲得や、相乗効果を持つブログとして書いている側の楽しみ、読み手としての面白みが味わいやすくなりそうだ。

いかにも時流に乗った「派閥」という言葉を使うところを除けば、主張にはおおむね納得できるし、賛成もできる。確かに共同体は適切な大きさになっていたほうが良い。

情報を利用する人にとって、情報には濃度や重み付けやがあったほうが楽だし、類似情報への距離がわかると楽しそうだ。また情報を発信するひとにとって、自身がカテゴライズされていたほうが密接なコミュニケーションが図れるだろう。それがたとえオープン型SNSに近いものだとしても、ブログがSNSと同じような要求に応えてはいけない法はない。今後のSNSは外部に対してもっと開かれていくという予想を僕はしているが、それと似たことだと思う。

ただし、情報のカスケード現象が起こるのではないかと心配する。例えばslashdotedという言葉も一部にあるように、某所で話題になった情報にアクセスが集中する。slashdot.orgなどは一般の話題に上らないが、ほかにも「はてブ衆愚論」などもある。それまでは利用者にとって有益かつ刺激的だったものも、利用人数が増えることによって有益ではなく凡庸になってしまう、というようなものだ。ほかにも「晒し」「祭り」などもある。アクセスの集中という意味だけではなく、情報の重み付けにも雪崩式に偏りが生じるのではないかという心配がある。とりあえず現時点で、主として被リンク数に基づいた検索エンジンでは、誤った知識であろうともページランクが上になってしまうことが観察される。だから「簡単にぐぐるな」「ぐぐるな危険」という警告もそれなりに説得力を持つのだが、それと同様のことがブログに派閥が生じたときに起こるのではないか。もっともすでにグーグルゾン化されつつある世界では心配するまでもないことかもしれないが。

また、いわゆる派閥の人間関係は現状のブログのような人間関係とは異なり、認知・感情・行動の総合的判断によって選択的注意がはらわれる。またブログを書く動機として自己開示も一面ではあると思うが、その自己開示は派閥内でのポジションによって抑圧される可能性もある。それに派閥としてカテゴライズされた情報はそのカテゴリーの枠を超えて利用されにくくなってしまうのではないかとも思う。

僕の結論として、あまり効率化せず、ある程度は人力による情報の取捨選択があったほうが、健全なのではないかと。すでにトラックバックやコメントが実装されているうえ、オフ会も開催されていることだし。もちろんCNET Japanがどのような運営をしようとも、僕にはさほどの関係はない

0 件のコメント: