2009-02-01

『「教えない」英語教育』

「教えない」英語教育 (中公新書ラクレ (176))』(市川力)を読みました。

タイトルはどう捉えていいものかわかりにくいですが、「早期英語教育」を中途半端にしても「子ども英語」しか身につかず、「大人英語」を身につけるためには「後期英語教育」を充実させようという話でした。小学校低学年くらいまでは遊びとして英語に触れることはよいとしても、本格的に英語を使って何らかのコミュニケーションをとるためには小学校高学年以降に焦点を置いて、それ以前の教育で下準備をしましょう、ということです。

著者のスタンスは、教育場面では英語"を"教えるのではなく、英語"で"教える、ということです。とは言っても、なにも教育用言語を英語にしようとかいうことではなく、知りたい・伝えたいという欲求を英語でかなえたり、他教科の教育内容も踏まえて英語で生徒たちとコミュニケーションをとるという方法です。そのためには母語の基礎が必要で、論理的思考力やら説明能力やらを培っておかなくてはならないとのこと。はやりの言葉で言うなら母語をレバレッジにして学ぶ、ということでしょうか。

かくいう僕の英語学習は小学校高学年からで、おきまりのように中学校の学習内容を先取りして学びました。中学生の頃には海外のゲームで遊んだり、高校生の頃には英語で読書したりしましたが、大学・大学院でようやく英語で意思疎通をする必要が生じたために道具として英語を練習するようになりました。ではそれで使えるようになったかというとかなり疑問ですが(おしゃべりは出来ないし、日常生活は不便です)、もっと早くから英語教育を受けたかったとは思いませんし、早期英語教育の効果には大いに疑問を持っています。所詮そんなものは遊びだろうという感想で、きちんと使えるようになるためにはいずれにせよ本人の多大な努力が必要ですし、学習する必然性もあったほうがよいでしょう。

僕の知り合いには英語に堪能な人が多く、それらの人たちの多くは日本語で長い教育期間を経てきた人たちですが、一部は英語圏やヨーロッパで教育を受けた人たちです。それらの人たちに共通するのは、どこで教育を受けようと、本人は決して自然に語学に堪能になったわけではないという事です。現在僕の子ども(1歳3ヶ月)が保育園に通っていますが、活動内容の報告を見ると「英語」というのがあるのですよね。一体何をしているのやら。

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