2009-02-08

『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』

仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか (幻冬舎新書)』(山本ケイイチ)を読みました。話題になった本なので気になっていたのですが、あまり読もうとは考えていませんでした。そもそも「仕事ができる」と「筋トレをする」には因果関係がないことはわかりきっています。ましてや「筋トレをする」と「仕事ができる」においてをや。

ところが100円で売っていたのを見つけて読んでみたところ、結構面白い。タイトルに絡んだところでは、目標を設定してそれにむけて具体的な行動を続けることができる人は、仕事も筋トレもできる、というところでしょう。別にそんなことなら筋トレでなくともよいとは思います。僕はほとんど毎日座っていますが(いわゆる座禅に近いものです)、これだって立派に条件に当てはまると思いますし、外国語の練習だって同じようなものでしょう。だから「~はなぜ座禅をするのか」とか「~はなぜ外国語を練習するのか」でも本が書けます。

この本の面白いところは、筋トレの方法論そのものとその背景にあります。一朝一夕で結果の出せるトレーニングはないという当たり前なことを前面に出して、トレーニングと生活の質を結びつけているところです。何かのトレーニング(この本の場合は肉体のトレーニング)をすることは時間をコントロールしてある程度の制約を設け、目標を設定して行動を起こしその成果を目標へフィードバックさせるとともに行動を修正する、というモデルを設けることです。これは確かに生活の質を向上させるでしょう。

そしてもう一つの面白いところは、背景です。現状として著者は仕事ができる一部の人は筋トレをしていると見ていますし、そこに何らかの関係を見ています。関係自体はさほど不思議なものではありません。それよりもその関係が前提となった時に起こりうる経済的変化が気になります。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムと資本主義の精神』で述べたことですが、禁欲的・倫理的な行動が資本主義というシステムを機能させたように、筋トレもまた同じような精神構造によって社会的変化を起こしうるのではないか、というのが僕の勝手な感想です。

さて、筋トレしよう。

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