2008-11-28

『マルドゥック・スクランブル』

マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮』『マルドゥック・スクランブル―The Second Combustion 燃焼』『マルドゥック・スクランブル―The Third Exhaust 排気』(冲方丁)を読み終えました。率直で簡単な感想を言えば、とても破天荒で面白いSFでした。もっと早く読んでいたら、もっと色々な人にその面白さを伝えたくなったことでしょうが、なんとなく読み終えたばかりの僕としては、面白さを消化することに専念したい気分です。

まずもって、SFだからガンアクションや白兵戦やカーチェイスがあるのはどうと言うことはないけれども、SFなのに法廷劇あり、ギャンブルあり、人間社会の価値や個人の存在意義をストレートに(いささか愚直に)問いかける作品というのも珍しいでしょう。そういったことや多少ナルシスティックな哲学的談義も含めて、非常に面白い作品だという感想です。

個人は名前のために生きている、というアフォリズムがあります。個人を形成する要素はその個人の物質的要素にのみ還元されるものではなく、その個人が身にまとった記号や情報によっても形成されているというような記号論的な話ですが、そういった面倒な議論はさておいて、この作品の名前の付け方にまずは感心しました。

主要登場人物だけあげても、
バロット Balot(フィリピン英語ではbalut)
オフコック Œufcoque(フランス語ではŒuf à la coque)
イースター Easter
シェル Shell
ボイルド Boiled
これらすべては卵などに関係する名前ですし、そのキャラクターの物語での立ち位置もその料理や素材などに暗示されています。作品には色々な解釈がつけられるものですが、僕はひとつの解釈として、「生成」の物語でもある、と無謀にも断言してしまいます。産み落とされた卵がどのような特性を得るかは産まれた後の話であり、どういう最終形態を持つかは卵にはおよそ関係のないことです。ある卵は雛に孵るかもしれないし、ある卵は殻だけになるかも知れない。そうしたものを名前だけで暗示しているのは安直というか思慮深いというか判断はつきませんが、とにかく感心します。

それ以外にも作品中に現れる、まるで『時計じかけのオレンジ』か『1984年』のイングソックのようなスラングもまた、卵に関連するものが多いです。法務局=ブロイラーハウス、「充実した人生」=サニー・サイド・アップ、「焦げ付き」=ターン・オーバーなど、いかにもなところでいかにもな言葉を持ってくるあたり、言語感覚的にも僕の興味を刺激しました。

とにかく僕がなんやかんや言うまでもないでしょうが、この作品は楽しめました。余談ですが、三冊目のカバーイラスト、ダイヤやハートのカードも黒く描かれているのですよね。あくまで色彩的にイラストとして最適と思われるように描いたのでしょうが、僕個人としては赤くなっていたほうが好みです。

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