2008-09-03

図像学入門

図像学入門―目玉の思想と美学』(荒俣宏)を読みました。アラマタワールドを垣間見せてくれますが、この程度だと、まだまだこの博覧強記な巨人の一部でしかないんですよね。恐ろしい。しかも日常生活にはまったく役に立たないと来ている。

本書はものを見るのに必要な、さまざまな知識や考え方についての「入門」編です。「入門」とはいうものの、巨匠アラマタならではの濃さ。親切ではあるのですが、その博識がなければちっとも入門にはならないだろう、という感想を持ちました。ただし具体例に即して、筆者のものの見方を説明していきますので、追体験をしてみると「なるほど」と心地よくなれますが、一人でやってみろといわれると作品を前にして立ちすくんでしまいます。

第一部は「絵は観るな! 読むべし」と題されています。ヨーロッパ中世の、リアリズムが浸透する以前の絵を見る場合、そこに描かれているものを観るだけではなく、その絵に込められた意味を汲み取らなければいけない、と主張されています。

第二部は「図像学はおもしろい」と題されて、この本の中心部分になっていて、図像学の研究を講義形式で4講書かれています。その極意は「バカ・ボケ・パー」。絵の観方には、バカ・ボケ・パーの3つがあって、まず、ただバカ正直に、そこにあるものだけを観る「バカ」の観方。絵の背景にある「意味」を見出すべく、作者によって提供されたものをそのまま観る「ボケ」の観方。そして、絵画の描いているものを超えて別のゲシュタルト的次元に至る「パー」の観方。

第三部は「光学原論」。アートとしての写真ではなく、写像機という機械の持つ可能性や感じ取れる光を追求する写真家たち(半ばマッドサイエンティストのような人たちだ)をインタビューしています。それぞれ面白い人たちなのですが、おおよそ共通するのは現代風に規格化された写真よりはより人間の肉眼で捉えられる感性に近いものを追求しようという姿勢と、その形式としてレンズやフィルタを通さずに光を集約する、という技法です。「写真」という工業製品にありながらそこに「絵画」を表現する内容と生っています。

本書では芸術という分野に切り込んでいます。芸術はなんとなく崇高なもののような感じがしてしまうから、あえて図像(ずぞう)という言葉を選んでいるところもあります。絵画を見てわかるということの意味するものは、その作品に対して作者が意図したものを正確にトレースできるかと言うものではなく、さらにその先に、作品に意味を与えることさえ現代美術は要求しているようです。

「バカ」の観方は誰にでもできます。林檎が描いてある、花が描いてある、などなど、そのまま受け取ればよいのです。しかしそれ以上の観方となると、その描かれたものに込められた隠喩を汲み取らなければ絵画は「読め」ません。そこには巨匠アラマタならではの博覧強記が生きてくるのでしょうし、芸術鑑賞者のたしなみなのでしょう。例えばキャンバス下方に髑髏が描かれていたらそれは未来に向かっての頽廃・破滅の隠喩であるとか。膨大な意味づけの体系を身につけていない人ではこうした観方はできません。さらにはそれを飛び越えて、作品自体に鑑賞者側からクリエイティブに意味を付与するなど、よっぽど通暁していないと無理なのではないかとさえ思えてしまいます(単純に僕には西洋美学の素養がないだけかもしれません)。

しかしそうした観方を示唆してくれるので、まさしくこれは「入門」なのでしょう。そして著者の目を通して作品の観方を追体験するのは愉快なものです。

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