2008-09-04

ひとはなぜ服を着るのか

ひとはなぜ服を着るのか』(鷲田清一)を読みました。著者の本は多数読んでいますが、どうも僕には違和感があります。うまく合わない、というかなんと言うか。結局ロラン・バルトと考察対象の時代・場所以外に何が違うのかという感想を持ってしまうのです。多分著者は優れた哲学者なのでしょうけど(めちゃエロいおっさんやで、という意見を学会で同席した友人から聞いたこともあります)、ぴんとこないのです。その点、三浦雅士さんの『身体の零度』はエキサイティングでしたから、単に合わないのだと思います。

感想としては、つまるところ、衣服は人間の第二の皮膚である、ということをしつこく問いかけているだけです。そしてそれらの文章はどこかで読んだことのあるような文章で、おしゃべりなおじさんが管を巻いているように感じられました。まあ多数の著作をものしている筆者のことですから、僕がどこかでそれに触れている可能性が高い、というだけのことかもしれませんが、かつての著作と何が違う、というところもあります。

あまり好印象を受けませんでした。詳細に中身を詰めようとしても、まるでばらばらのテキストが著者の感覚で一連の文章になって、そこには明確な論理的なつながりがないかのようです。

ところで、この本を手に取ったきっかけは、「人はなぜ服をあえて着ないことがあるのか」という疑問に端を発しましたが、その視点はすっぽりと無視されているようです。

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