2008-09-23

θは遊んでくれたよ

θは遊んでくれたよ (講談社ノベルス)』(森博嗣)を再読しました。講談社ノベルズ再読として『φは壊れたね』を読んだので、その流れで。

再読しての感想は、『φは壊れたね』とほぼ同様です。スーパーお嬢様である西之園萌絵のお嬢様ぶりも紙数の都合かあまり描写されなくて萌えきれません。犀川先生や国枝先生の切れのある洞察や台詞も見あたりません。登場人物たちの魅力を味わうにはもっと描写が必要かと思われますし、肝心のミステリ要素は先が読めてしまうくらいに単純になってしまっていまし、学生も本作品出版時の学生とは思えないほど優秀です。

ちなみに僕の非常に親しい友人はC大学と思われる大学に無試験で入学しました。高校時代の彼の成績は下から数えた方が早いくらいのものでしたが、が、大学内ではトップクラスの秀才だったらしいです(無論大学で自分のやりたいことに専念できる、という環境もあったのでしょうが)。

本作品とはそれほど関係ありませんが、背後に見え隠れする天才である真賀田四季博士も、ソクラテス・プラトン・アリストテレスや、ニュートン・ガロア・アインシュタインなどの過去の天才たち(選択は適当です)と比べると、いかにも抽象的思考と合理性を追求した天才の一側面だけを強調した人物に思えてしまいました。つまり天才の複合的な人格をうまいこと排除して(この辺は四季シリーズに詳しいですが)いるので、その天才が平板に思えてきてしまうのです。

さらにいうと、本書の随所に引用されているJ・S・ミルの『On Liberty』は、引用されている箇所だけを読むと人間の理性を最大限に発揮するためには、というような印象を受けますが、『On Liberty』の中心となる主張は、「他者危害の原則」といわれる、人間の行動を制約するにはどのような条件が必要か、というものですので、真賀田博士の行動とは正反対となります。

こんなに悪口めいたことを書いているけれども、やっぱり僕は森博嗣さんの書いた「ミステリィ」が好きなのですよね。特に犀川&萌絵シリーズやVシリーズには痺れました。その名残でその後の作品も読んでしまう、という流れです。やっぱり作者は凄いです。

もうこのシリーズを再読するのはやめにしようと思いました。再読するなら前のシリーズですね。もう何度再読したかわからないくらいですが(四季シリーズは除く)。

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