2008-10-15

日本の女が好きである。

日本の女が好きである。』(井上章一)を読みました。著者の『美人論』を再読したいなと思っていたところ、本書のサブタイトルが「新・美人論」なので読んでみました。

『美人論』の精密さには及びませんが、より率直になったというか、より著者のエッチさが増したというか、より現代的になったというか、俗っぽくなったというか、とにかくとても読みやすい本でした。『美人論』を書き直すためのラフスケッチというのが本書の位置づけなので、まさにラフです。

Amazonの内容紹介から引用をすると、

賛否の両論を巻き起こした問題の書『美人論』から17年。再び挑む、美しい人とそうでない人の研究。なぜ日本人は、女性のうなじや脚首に魅力を感じるのか? 小野小町はほんとうに「美人」だったのか? 不美人ほど不倫をすると言われた理由は? 「秋田美人」「新潟美人」が生まれた深い事情とは? ミス・ユニバースとK-1の共通点とは?……フェミニストとの心理戦の裏話や、美人の研究を始めるきっかけとなった自らのコンプレックスなど、美人研究にまつわるさまざまな豆知識やこぼれ話を紹介する1冊。楊貴妃からかぐや姫、ミス・ユニバースに女子大生、さらにはアニメの美少女キャラまで、古今東西の資料に基づき、「美人」「美女」ついでに「美男」について、マジメに深く深く考察します。人はほんとうに「見た目」がすべてなのか?
という本です。著者のかつての主張通り「全ての男性は女性顔評論家である」を地でいっています。

人の顔について何かをいうことは、僕の倫理意識からは想定できません。とはいうものの身内は別で、配偶者は「綺麗でかわいくて優しくて機知に富んでいてetc.(といわないと怒られます)」ですし、僕は一言で形容すればイケメンです。しかし考えてみれば、人の能力についてあれこれ論じることも測定することもしているのだから、僕の倫理意識など基盤は脆弱なものです。その脆弱さを揺すられる著者の率直な物言いには頭が下がります。これは『美人論』でも同じ事を感じましたが。

率直なだけでなく、かなり鋭いのではないかと思わされる洞察もありますし、著者の博識さを証明するような蘊蓄も、資料に基づいた実証も多いです。特に女性の社会参加がすすむことにより、美人がより得をするようになってきたという主張には、著者の鋭さを感じられます。

ちなみに本書で「秋田美人」「新潟美人」の生まれた理由として、日本海側の経済的なものや遊郭などでの田舎者たちを弄する宣伝文句があげられていますが、僕の聞いた与太話では違いました。日本の中央から外れたところに美人が多い理由は、参勤交代に端を発するというのです。国許にまで連れ帰るのは美人であり、そうでない者は途上で捨て置く、というのですね。だから関東周辺では不美人が多いのだ、という妄説です。北関東出身の僕としては著者の説に与します。

他には、壁画・絵巻物・浮世絵などに描かれる美人をもって当時の美人とするのは単純にすぎる、という主張が面白かったです。それらはいわばカリカチュアライズされた美人像であり、骨相的に見ても当時の人間にそのような極端な顔をした人はいなかった、というのです。例えるなら昨今の美少女イラストを1000年後に考証したら、当時は顔面積の2割を目が占めるような顔がもてはやされていた、とするようなものである、ということです。この主張には、僕は少しだけ異を唱えたいです。徳川将軍家代々の頭骨を調べると、ほんの300年で、明らかに当時の標準的な頭骨よりも面長で顎が貧弱になっているという事実がありますので、壁画・絵巻物・浮世絵などは異形なカリカチュアライズではなく、貴人を憧憬する心情から描かれているのではないか、と僕は思うのですけどね。

あとはうなじや足首に魅力を感じることの説明として、視線をそらしつつのぞき見できるパーツとして淫靡な好色文化を育んできたのではないかとしていますが、これにはものすごく同意。まさに我が意を得たりという感じでしたが、1990年代くらいから肌の露出度が高かったり、体の線がはっきりと現れる服が罷り通っていますし、職場でもそこそこ見受けられますので、そのうち変わってくるのだろうな、と思いました。

他にも読む人によってはツッコミどころ満載な本ですが、著者はぜひ苛めて欲しいようなので、女性の顔について云々している本書に嫌悪感を持つ人は、一読をして著者を苛めてください。エッチな男性の僕としては、とても楽しめる本でした。

0 件のコメント: