『すべての女は痩せすぎである (集英社文庫)』(姫野カオルコ)を読みました。内容は至って正論で、著者自身かなり自身の偏見と感覚からとても論理的に文章を書き綴っています。著者自身の尖ったところもそれほど目につきませんでした。
内容は目次を読めばおおよその見当はつきそうなので、目次を引き写します。
第一章 まぼろしの美人論
美人は京都に住んでいるのか?
パツキン美女の産地はどこか
美人の地域差は?
美人は肌がきれいか?
世界一の美人は誰か?
美人は男性差別ではないか?
美男美女の内面に迫れるか?
「美男と思う=好き」なのか?
他人の顔を査定したバチか?
第二章 すべての女は痩せすぎである
美人とは痩せていることなのか?
数字マジック
筋肉と脂肪の関係
食欲女王
田舎に住んでいてはダイエットもできない
漢字マジック
セックスできれいになる、はもう古い
セックスできれいになったにちがいないと思わせる女
第三章 ルックス&性格=見かけ&中身
ヘアヌードのゆくへ
看板に偽りあり
スをつけないといけないっス
裸になるのは怖い
自己プレゼン・その1
自己プレゼン・その2
第四章 すべての男はマザコンである
自宅ボーイからパラサイトボーイへ
自宅ボーイに未来はあるか
聖職の碑
男性差別
真マザ男と脱マザ男
ヒロシの場合
第五章 すべての人に好かれる方法
わざとらしい女
かわいそうな水野真紀
サヤカちゃん
急募! コピー、お茶くみできる人
少女、それは清く、少女、それはかよわく
沖田総司さま
第六章 彼の声
僕としては、やはり多くの男性と同じく女性顔評論家ですので、第一章の美人論は面白く読みました。女性の描く美人論は男性の描く美人論とも少し異なり、何よりもジェンダー的な視点が混じり込んでいますので、それはそれで興味深いです。結論としては美の定義は不可能であると言うことですが、歴史的な考察を積み重ねればそれなりの共通項が見いだせるはずですので、普遍的な美ではなく、その当時の美なら語りようもあるかな、と僕は思いました(実際そういう研究もなされていますし)。あとは著者が「エロには理解を示せるけれども、エロスにはまったく理解が及ばない」というのも、作品(『ツ、イ、ラ、ク』)を読んでみると何となく納得してしまいました。
それはともかく、特に興味深くて読み応えのあるのは第六章でした。ここでは高校生だった著者が吉行淳之介さんに三ヶ月に一度ほど電話をかけた話が、かなり自虐的に暴露されています。吉行さんはまさに洒脱の受け答えをしているのですが、高校生である著者はそれに一方的に寄りかかっています。こうした高校生ならではの恥ずかしい行いというのは、文章にして世間の目にさらすというのは勇気のいることですね。僕など絶対にかつて文通していた人とのやりとりなど公にはできません。
著者の文章はこの本でもやはり文庫化に当たって全面的に書き直したそうです。雑誌などの初出の文章はその文脈に沿った文体を選んだり、時事に即して例を挙げたり隠喩を用いたりするので、どうしても文庫化するには内容と現実の齟齬が目立ってしまいます。職業作家らしい入念な仕事ですが、これは言うに優しく行うに難しというもので、全面的に感服しました。
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