2008-10-20

忘却の河

忘却の河 (新潮文庫)』(福永武彦)を読みました。読み終えたのは2日前なのですが、なかなか感想が書けないほどに重いです。深いです。構成が見事です。有名な作品なので内容の紹介をするまでもないと思いますので、感想だけ。

とにかく文学が男で知識階層の人たちのものだった頃の小説なのだな、という感想です。それにしては僕としては納得のいかないことも多く、大学中退の中年男性は長子でありながら、昭和17年に徴兵されて東南アジア方面の前線に配属されたようですが、どうも僕にはこれがなかなか想像できないのですね。それに中年男性の娘が大学進学を当然のようにしているのも、当時の大学進学率から考えると想像しにくいです。また、ルース・ベネディクトの「恥の文化」を表明した著作(『菊と刀』)が発表されて十数年経っている頃の小説ですが、日本人の心性として罪や愛の概念やがそれほどに重みを持つかどうか、実感が湧かなかったのです。

とはいえ小説としての完成度は別格で、本当に見事の一言に尽きます。小説が人称をここまで自由に使いこなし、複合的な視点から多くの肉声を重ね合わせ、それでいて統一した一織りの物語として精密に編み上げているのは、読んでいて心底感心させられました。

福永文学の中心的なテーマとなる愛や孤独や罪になじめないのは、僕の性格なのでしょう。しかし愛の概念が根付かないためにキリスト教宣教師たちが「御大切」という訳語を普及させようとしていましたが、仏教徒の僕(日本人で無宗教と自称する人たちも)としては、こちらの方がしっくりくるのではないか、と思ってしまうのです。つまり福永文学は福永さんのフランス文学に裏付けされた知的レベルにまで高まらないと、じっくりと味わえないのではないかと。そして僕やその周りの人たち、特に父や祖父は、いわば大衆でしかないのです(みな高等教育は受けてはいますが)。

現在進行形で生きている個人として見ると、愛の形は大きく変わっています。同じように罪の概念も当時とは趣が異なるでしょう。しかし小説のテーマから概念型のみを抽出するならば、むしろ現在のほうが読み込むのは意義深いと思います。僕は僕の目を通して読んだときに、大変重くて深い小説だと感じました(詳細はなかなか文章にできないのですが)。ですから僕の感想はこの小説の価値を疑うものではありません。ただ、かつては男の知識階層のためのものであり、今は違う、というだけです。

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