2008-10-16

羞恥心はどこへ消えた?

羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』(菅原健介)を読みました。まあそうだろうな、という程度の感想です。

正直なところ、あまり感心できる内容ではありませんでした。社会心理学という、日常をフィールドとした学問分野が常に抱える問題ですが、注意深く身のまわりを眺めたり考えたりした結果の「常識」と、学問として調査・分析した結果とがあまり違わないのです。「一般常識」とは違うかも知れませんが、一般常識とは思考停止状態のことであって、考えればわかるだろう、という内容です。この本では特にその傾向が顕著で、僕にとって新しい発見はありませんでした。あくまで「僕にとって」なので、新しい発見をする人もいるとは思いますが。

内容を簡単に紹介すると、「ジブン本位」は「恥ずかしさ」を抑制し、「地域的セケン」は「恥ずかしさ」を促進する一方、「せまいセケン」は「恥ずかしさ」を通り越して「逸脱行為」を促進する、ということです。そして現代日本では「せまいセケン」が常態化して街中での迷惑行為などが散見される、というのですね。

新書に求めるのは酷な注文かも知れませんが、調査の結果や分析内容を紹介するのではなく、調査方法自体をもう少し本書の中で述べてもらわないと、その分析内容の妥当性は評価できません。僕が分析内容に対して持った感想は、「それは都市部の現象であり、日本全体の現象ではないのでは?」というものです。どんな人でも何らかの形で社会化されて生きていますが、その社会化の内容や方法は、地理的にも風土的にも文化的にも、あるいは伝統やらイデオロギーやらなんやかやの非常に複雑なシステムによって規定されることが予期されます。その複雑さをあまりにも単純化しすぎているのではないかと僕は思いました。

ついでに思ったことですが、参照している文献として、著者自身の論文が多すぎでした。

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