2008-08-07

世界屠畜紀行

動物を殺して肉をつくる話ですので、嫌いな方はあらかじめご注意下さい。

人が読んでいたのに興味をひかれて、『世界屠畜紀行』(内澤旬子)を読みました。文章は雑ですがとても面白い本で、ぜひ色々な人におすすめしたいです。まずは配偶者におすすめしましたが、すげなくかわされました。

僕は現在肉をほとんど食べません。別にベジタリアンではないのですが、体質的なものや好みもあるのか、自然と食生活がそうなってしまっただけです。母親が肉嫌いという家庭環境もあるかも知れません。けれども、食肉を作る過程とか動物を屠ることだとか、わくわくするほど大好きなのです。スプラッタ趣味ではなく。

体験談から話をします。僕の生家は山奥でしたので、お隣さんがたまには山で猪を捕ってきて庭先でしめたりしていました。どういうわけだかそういうのは大人の男の仕事だったので(多分決まりごとではありません)、子どもの僕は興味津々と眺めるだけです。

はじめて家畜を自分の手でしめたのは高校生のころでした。屋久島に旅行に行き居候をしていたのですが、その居候先で山羊を2頭もらったから、ひとつ宴会をしよう、と。そしてせっかくだから若輩の僕にやらせてあげよう、と。手順を説明すると気分を害する人もいるかもしれませんが、頚動脈を切り、腹を裂き、内臓を洗い、肉を切り分ける、というような感じです(今考えると違法行為だったのかもしれません)。経験のある人たちに教えてもらい、僕はあまり手を出せなかったのですが。

本書では世界各地の屠畜(家畜を肉にすること)を取材して、丁寧にもイラストつきで解説しています。同時に人間が肉を食べること(=ほかの命を奪うこと)について、宗教と肉食の関係について、屠畜にまつわる差別について、などなどを取材したり著者が考えたりしたことが書かれています。非常に多岐にわたっていて面白いですが、単純にどういう風に食肉ができるのか、という過程を追いかけるだけで面白いです。文章も読みやすくユーモラスですし。

食育は「バランスよく食べましょう」という話ではなく、命あるものを殺すことからはじめると幼い子どもにとって面白いものになるのではないか、などと本書を読んで考えてしまいました。でも下手をするとトラウマになったりして。

ちょっと補足します。僕は無意味な動物虐待には賛成できませんが、生きている以上ほかの生き物に迷惑をかけるのは必要悪(?)とみなしています。因果はめぐるけれども、所詮罪深い凡人。ありがたく毎日の食事を受け入れたいと思っています。肉食に関する嫌悪感がまったく無いとも言い切れません。それが牛・豚・鶏・馬・羊・魚など諸々の見慣れた食物であれば嫌悪感はありませんが、僕がそれを食べる習慣を持たずに嫌悪感を覚える生き物もいます。ただし、できるだけおいしく残さずに食べつくすのが、せっかく命を亡くした動物のためになると考えます。

さらには農作物であろうと、きっちりと「もったいない」と思いながら無駄なく食べる必要があるとも考えています。別に肉食に限った話ではないのです。そのあたりは『典座教訓』や『赴粥飯法』に近い感覚というか。僕は禅宗徒ではありませんが。

それはさておき、宗教と肉食のタブーについて、ちょっと面白い体験談があります。以前元ユダヤ教徒で現在キリスト教徒のユダヤ系アメリカ人とイタリアンレストランで食事をしました。その時に彼が、日本語で書いてあるメニューをいちいち僕に訳させたり解説させたりするのです。この料理の原料は何か、どういう風に料理してあるんだなどと。もうユダヤ教徒ではないんだから、コーシェル(ユダヤ教で食べて良いもの)は無視していいじゃない? と僕が聞くと、「小さいころから食べたことがないから、今でも食べられない」そうです。おいしいとかおいしくないとかではなく、単なる食わず嫌いなのかとも思うのですが、なにせ宗教がらみですから微妙なことは聞けません。

日本人が動物を殺すことに対して忌避感やなんとなく後ろめたいものを感じるのは、仏教の殺生戒からきたのではなかろうか、と著者は訝しんでいますが、どうなんでしょうね(ちなみに僕は仏教徒のつもりでいますが、殺生戒は気にもしていません)。

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