2008-08-13

夏姫春秋

夏姫春秋(上) 』『夏姫春秋(下)』(宮城谷昌光)を読みました。これまでなんとなく読めなかった作品ですが、重い腰を上げてようやく読みました(ちなみに重い腰を上げた理由は、配偶者と子どもが実家に帰っているためで、100%読書漬けの時間を過ごしているためです)。

中国古代の歴史物語の面白さはわかっているつもりですが、ありていに言って「なんとなく普通」でした。この手のジャンル(例えば幕末歴史ものとか、日本の戦国史ものとか、江戸期ものとか)は、数を読むとパターンが見えてきてしまい、だんだん史料との距離感を楽しむようになってきます。

宮城谷さんはとても古代中国の歴史小説を描かせたら、間違いなく素晴らしい作家だと思います。比するなら好みは分かれるけれども司馬遼太郎さんくらいに。でもその素晴らしさに慣れてしまうと、その作家の普通レベル(つまりとっても高いレベル)では飽き足らなくなってしまう、という悲しい習性があります。藤沢周平さんの作品にしても、池波正太郎さんの作品にしても、予定調和的な満足感は得られるけれども、やっぱり予想したくらいの満足感だな、という感じです(例外もたまにはありますが)。

題材が面白いのだと思います。群雄割拠して、人生は運に翻弄され、諸国には英雄・俊傑がいて、などなど。その題材をいかに料理するかが歴史小説家の腕の見せ所ですが、宮城谷さんくらいの作家になると、うまく料理して当たり前という悲しい期待が寄せられてしまいます。悪女だったのか、悲劇のヒロインだったのかなどと詮索するのは無駄な深読みというものでしょう。

本書を読んで、不遜にもそのような感想を持ちました。「なるほど堪能させていただきました。で?」という感じのもので、卑近なところに似た例をとりだすなら豪華ハリウッド映画を見終わった後の満足感みたいな。

ちなみに歴史小説にフェミニズム・コードの警鐘は鳴りません。女性が主人公の本書でも、女性を描くのが上手いとか下手とか、人権や倫理がどうのとか、そういう感想は筋違いというものでしょう。それにしても夏姫、見てみたい。それ以上に抱いてごにょごにょ(倫理規定により削除されました)。

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