2008-08-02

悲しきアンコール・ワット

「超個人的クメール・ルージュ祭り」の一環として、『悲しきアンコール・ワット』(三留理男)を読みました。

クメール・ルージュがカンボジア-タイ国境間でゲリラ活動をしていた時期に、その資金源となっていたのはルビーなどの鉱物資源とアンコール朝の文化遺産であるという記述が本書にありましたが、前に読んだ『わたしが見たポル・ポト』では、クメール民族愛にあふれたクメール・ルージュがクメール人の誇りであるアンコール朝の文化遺産を盗掘するわけがない、と書かれていました。さて、真偽のほどは。

この本によると、カンボジア発共同通信のニュースとして、クメール・ルージュ幹部の自宅からアンコール朝の文化遺産が押収されたという報道があった、との事。やっぱり資金源のひとつではあったのだろうな、というのが僕の感想です。そもそもクメール・ルージュは過去との訣別を政策として掲げていたくらいだし、仏教寺院も排斥していますから、アンコール朝の遺跡も例外ではなかろうと思うのです。それに軍事上、城郭としても適切だろうし。

それはさておき、本書はアンコール・ワットをはじめとする、旧クメール王朝の支配下にあったカンボジア、タイ、ラオスなどのアンコール朝の文化遺産の盗掘を問題として追及しています。盗掘の現場とまでは踏み込まなくとも、密輸の現場、ブローカーそして買い手まで取材しています。そして調達・輸送・売買のどれかのピースが崩れたら、文化遺産の盗掘は下火になるのではないか、という主張をしています。また復旧に向けての石工の教育やら模造品の生産やらまで描いています。

最近友人がアンコール・ワットに訪れたのですが、中央回廊(というのかな)のほとんどの仏頭がなくなっている写真を見せてくれました。いわくみんな盗まれたとのこと。仏頭ならば持ち運びしやすいし、それ自体だけでも美術的価値や宗教的価値があるかららしいです。その写真を見て、僕はひどく残念な思いをしました。というのも、世界遺産にほとんど興味のない僕でも、アンコール・ワットだけは興味があったのです。

伊丹十三さんは「ロード・ジム」(ピーター・オトゥール主演)の撮影のためにアンコール・ワットを訪れて、世界一上質な時間はアンコール・ワットの周辺を自転車で散策することだ、という事をエッセイに書きました。「ロード・ジム」は1965年の映画だから、シアヌーク殿下が王位を譲って、自身は政治家としてサンクム独裁政権を立てていたころです。まだカンボジアの内戦は激しくなく、きっとアンコール・ワットも静謐な空気が満ちていたことでしょう。そのエッセイを読んで、僕も世界一上質な時間を持とうと思ったのですが、果たせぬ夢となりそうです。

本書を読んでアンコール・ワットに限らず文化遺産の扱いには難しいものがあると考え込んでしまいました。もちろん現在盗掘にせよ密輸にせよ売買にせよ、禁じられたことをするのならばそれは国・地域の法に基づいて犯罪となります。しかし古い文化財はどうでしょう。例えば僕はわざわざ遠くまで出向いて「サモトラケのニケ」や「ミロのヴィーナス」などの古い美術品を眺めたことがありますが、美術品としてよりも文化遺産としての価値が高そうな気がしたのです。そして文化遺産としての価値ならば、そもそも発掘現場の国が保有するべきではないか、と。条約が結ばれる前の話ですから合法ですが。

これは僕などが考えるに余りある話ですね。

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