2008-08-25

スーツの神話

べつに僕の配偶者が「ス! ウ! ツ!」な人というわけではありません。

スーツの神話』(中野香織 文春新書)を読みました。17世紀頃から続く男性服の歴史のなかに現代のスーツを位置付けて、その起源から服飾史を辿って現代の様式にまで至る本です。

面白いのははじめに問いを立て、中で詳細を叙述し、終わりにはじめに立てた問に答える、という形です。17世紀頃から徐々に変わってゆく男性のファッションをめぐる考察が中心となっていて、そこはそこで面白いのですが、一番面白いのはやっぱり現代ですので、問いと答えだけ読んでも面白いです。

現代のスーツの原型は17世紀のイギリス貴族たちや社交界から生じた、という仮説は刺激的です。その論拠となるところは多少論理の飛躍はあるものの充分説得力を持ち(例えば上着から下のシャツを少しだけ出す流儀は18世紀と変わらないとか、その他いろいろ)、その変遷も単なる奇抜な発想からだけではなくて、伝統とそれに少しだけ加えるアレンジによって徐々に変化していったとするのも納得です。

つまり、その歴史自体が答えの一部となるのですが、スーツを着た男性はなぜ信頼が置けそう(で、セクシー)なのかというのは、連綿と続く伝統にほんの少しのスパイスを利かせているからである、ということだそうです。その伝統の中におかれる事がなかった女性はスーツ(いわゆる男性会社員が着るようなスーツです)を着てもどこかしっくりとしないし、季節を問わずにスーツを着るのも王や貴族の権威をその背中に担っているからである、としています。

もちろんファッションなどという奇妙奇天烈なものは正確な歴史論証にはむかない、どことなく移ろうもの、漂うもの、個人のセンスによって転覆するものだから、著者の男性服飾史はひとつの見方です。しかし面白ければよいという僕のようないい加減な読者だと、この本は充分に面白いのです。

一部納得できないのは、本書では触れられていませんが、魅力的な男性の形が変わってきたのはなぜか、というあたりです。中世の「なで肩でっ腹短足」が魅力的だった頃から、いきなりルネサンスを経て古代ギリシャ・ローマ的筋骨隆々黄金比のプロポーションが魅力的になったのか、一切議論されていません。書くまでもないことなのかもしれませんが、和装であれば今でも「なで肩でっ腹短足(加えて大顔)」のほうが押し出しがよいですが、その歴史を切り捨てた洋装はなぜ切り捨てることができたのか、僕は疑問を持ちました。

僕? スーツ? しばらく着てませんよ、そんなもの。

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